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Saturday, December 03, 2016

ダニエル・エルズバーグインタビュー「現在はキューバ危機以来の核戦争の危機」 Daniel Ellsberg Interview in Shukan Kinyobi (Nov. 25)

Daniel Ellsberg
Photo: Rick Carter 
『週刊金曜日』11月25日号から、当ブログ運営人・乗松聡子によるインタビュー記事を紹介する。

10月末、カリフォルニア州サンタ・バーバラで Nuclear Age Peace Foundation (核時代平和財団)によるシンポジウム「Fierce Urgency to Nuclear Zero」(切羽詰まった核兵器ゼロへの道)が開かれ、そこで元国防総省・国務省職員ダニエル・エルズバーグ氏にインタビューする機会を得た。

エルズバーグ氏は1971年、ランド研究所在籍中にベトナム戦争についての政府内部文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を新聞にリークし、米国のベトナム撤退の一因を作ったことで知られる。正義のために身の危険を省みず内部告発した「ウィッスル・ブローアー」として伝説的存在となり、近年「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ、元CIA職員のエドワード・スノウデンらにも影響を与えている。

エルズバーグ氏は核問題の専門家でもあり、今回も開口一番、「自分の人生は核戦争を起こさないという目的のために捧げてきた」と言いきった。戦後の核軍拡競争と核戦争の危機を見つめてきた氏がこのこのインタビューでも上述の会議でも何度も強調していたのが、「今世界はキューバ危機(1962年)以来の核戦争の危機にさらされている」ということだった。そして核戦争を本当に起こすリスクはドナルド・トランプよりもヒラリー・クリントンの方が高いと。

エルズバーグ氏は、オバマ大統領が核先制不使用を検討したことに対し核被害をよく知る日本が反対したことに大変な危惧を抱いていた。核兵器ゼロの目標は重要であるが、喫緊の核戦争のリスクを回避するにはまず、米国がロシアや他国に対し核先制攻撃の脅しを解くことであると強調した。

このインタビューは大統領選直前に行ったものだ。ロシアを悪魔視し核のボタンに手をかけていたクリントンではなくロシアとの親和を訴えていたトランプが当選したことにより米ロ核戦争の危機は回避されたと思っている人も少なくないが、トランプの政策は予測不能なところがあり予断は許されない。

85歳のエルズバーグ氏はインタビュー中、私を通してすべての日本人に伝えたいと言わんばかりの気迫で、つばがかかりそうな勢いで訴えてきた。「日本こそが米国に核先制不使用を求めるべきだ。安倍首相がどう言おうとも、日本の市民が立ち上がって行動すべきだ」と。

だから私は週刊金曜日の読者以外の人たちにもエルズバーグ氏のメッセージを広く伝えたいのだ。許可をもらって記事を下に張り付けたので、ぜひ読んで拡散してほしい。記事画像をクリックすれば大きく見られる。 乗松聡子

★エルズバーグ氏は核問題を中心とした回顧録をこのたび完成させた。その中には1960年代初頭に岩国沿岸に配備されていた核兵器についての詳しい記述もある。近日中に出版予定。






Monday, November 21, 2016

宮古島の水を奪い、島全体を戦場とすることにつながる陸自配備に反対する母親の声を聞いてくださいA Miyakojima mother calls for cancellation of GSDF troops and missile deployment

前ブログ「宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化」とセットで発表します。11月20日、宮古の自衛隊基地建設に反対する「11・20宮古島平和集会」が開かれ、約300人が参加しました。野党の県選出国会議員「うりずんの会」ー糸数慶子、赤嶺政賢、玉城デニー、照屋寛徳、仲里利信各氏も出席。沖縄タイムスの21日の報道によると、宮古島への陸上自衛隊・ミサイル部隊配備の撤回、高江ヘリパッド建設と辺野古新基地建設の中止を訴える決議書を下地敏彦市長、翁長雄志知事、安倍晋三首相、稲田朋美防衛相ら6者に郵送するという。この集会における、子を持つ母親を中心とし自衛隊配備に反対するグループ「てぃだぬふぁ島の子平和な未来をつくる会」の共同代表である石嶺香織(いしみね・かおり)氏のスピーチがとても素晴らしく、ひとりでも多くの人に読んでほしい、聞いてほしい、「平和」の原点に返るものだったので写真とともに紹介する。下方にビデオリンクも。(写真提供:芦川剛志氏)



壇上に立つ石嶺香織さん。
辺野古や高江で座り込みを続けている島袋文子さん(右)も駆けつけた。



今、防衛省が陸自配備計画を進めようとしている千代田には、水の問題が二つあります。
一つ目は、水道水源の汚染の可能性です。千代田カントリーも水道水源保全地域に隣接しているのです。
石嶺香織氏
宮古島には、水道水源保全地域が三つあります。白川田流域と、東添道流域、福里北流域です。
当初防衛省が予定していた福山への陸自配備計画は、白川田流域にかかっており、地下水汚染の可能性が否定できないとして、宮古島市は受け入れを拒否しました。
野原の航空自衛隊は、水道水源の東添道流域と川満流域の境目にあり、1キロ離れた千代田カントリーは上野流域にあります。しかし、水道水源の東添道流域と川満流域や上野流域の境目は、調査が不十分で流域界の精度が劣るとされています。第三次宮古島地下水利用基本計画には「一部の流域界では、時期による地下水流域界の移動が確認されている。」と書いてあります。
地下水審議会審議委員の前里先生のお話では、干ばつの時は流域界の水の移動はないが、水量の多い時期に地下水は行き来しているということでした。
つまり、もし千代田カントリーに基地ができて汚染が起こった場合に、水道水源である東添道流域が汚染される可能性があるということです。
前里先生や学術部会の渡久山先生は、基地を作る前に流域界の調査が必要だと訴えておられます。てぃだぬふぁでは、流域界の調査の必要性の審議のために地下水審議会の開催を求めていきたいと考えています。
二つ目の水の問題は、水量が不足する可能性です。航空自衛隊の近くに、野原配水池というのがあります。配水池というのは、上水道の配水量を調整するために一時蓄えておくタンクのことで、この野原配水池は下地、上野、城辺の一部、そして来間島までの水がいったん貯められます。
今でも観光客が多い時期などは水圧が下がることがあるそうですが、一カ所に800人もの隊員が、家族も入れて2千人とも言われていますが、その水がまかなえるのでしょうか?市民の水を奪うことにはならないでしょうか?宮古島市はこの対策は何も考えていません。
そしてもっと重要なことは、もし野原配水池が攻撃されたら、宮古島の南半分の水はストップするということです。
千代田に地対艦ミサイル部隊、地対空ミサイル部隊が配備されたら、千代田の基地や野原のレーダー基地が攻撃される可能性は格段に高まります。
その時に、この野原配水池が攻撃されれば、宮古島の南半分の命の水が途絶えてしまうのです。大切な命の水のそばに、基地など置いてはいけないのです。
国会議員のみなさん、この二つの水の問題も、ぜひ国会で訴えてください。
宮古島が戦場になることを、想像できていない人はいますか?
ミサイルを配備することは、戦場になることを意味します。このミサイルを、たった一度でも打てばどうなると思いますか?攻撃されます。
ミサイルは車載式です。トラックに載せて島中どこでも走り回ります。どこが戦場になるか分からない。基地予定地だけの問題じゃないんです。
てぃだぬふぁはこの一年半、基地配備を止めるために子育てや家事や仕事の時間を割いて、活動を続けてきました。子供たちにゆっくり絵本を読み聞かせしてあげる時間もなくなりました。
奪われていくものと戦うということは、どれだけ不毛なのでしょうか。本当は、育むもの、作り上げるもの、積み上げていくもののためにエネルギーを使っていきたい。
しかし、それでもなぜ奪われていくもの、戦争につながることと戦っているかと言えば、戦争の前では全てが消え去るからです。
育んだものも、作り上げたものも、積み上げたものも、一瞬にして失うからです。
命も、文化も、土地も、水も。
戦後多くの母親が、戦争に反対していれば良かった、子供が戦場に行くのを見送らずに、どんなことをしてでも止めれば良かった、一緒に逃げれば良かったと言っています。それは、心からの後悔、死ぬまで解放されることのない後悔ではないでしょうか。
しかし、戦争になる前、みな戦争が始まるとは思っていなかったはずです。今と同じように。
想像力を働かせなかったのです。なぜ人間に想像力が与えられたのか、危険を予測して命を守るためです。
子供たちの未来がいかに奪われないようにするか、そのことに時間を使うのはもうやめにしませんか?子供たちの未来をいかに作るかに、私たちのエネルギーを注ぎませんか?
そのために、宮古島市民は戦争につながる全てのものに、NOと言わなければいけない。声を大にして、きっぱりと基地を断りましょう。
戦争につながる日々は、もう平和な日々ではありません。戦争が始まるのを止める作業に時間を費やさなければならないからです。
私は、子供たちに絵本を読み聞かせしてあげる平和な夜を、取り戻したいと思います。
そして、高江にも、辺野古にも、普天間にも、石垣島にも、与那国島にも、沖縄の全ての場所に、平和な夜を取り戻しましょう。

宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化:前田佐和子 Military Buildup of Nansei Islands - Yonaguni, Miyako, Ishigaki, Amami, and Space Technology: Sawako MAEDA

過去、このブログに沖縄の離島の教科書問題等について重要な論考を投稿した前田佐和子氏に、宇宙科学研究者の視点から南西諸島の軍備強化と、「準天頂衛星システム」の関係の可能性についての論考を寄稿いただいた。(転載・引用の場合はかならず初出としてこの投稿のURLにリンクしてください)。


宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化


前田佐和子

(1)南西諸島への自衛隊配備
与那国島南牧場(2013年)
日本列島の西の端に位置する人口1500人の与那国島に、2016年3月28日、自衛隊沿岸監視部隊が配備され、約160人の隊員とその家族90人余りが移住してきた。それから半年、馬の親子がのんびりと歩いた緑豊かな南牧場は、ま新しい自衛隊駐屯地にとって代わられ、一面が赤土に覆われた異様な光景を呈している。 今では、沿岸を航行する艦船、上空の航空機などを監視するレーダーのアンテナが、島のあちこちに立っている。

2008年、与那国島の町議会が自衛隊誘致の決議を上げて以来、長きにわたって取り組まれてきた町民たちの反対運動を押し切っての配備であった。
与那国島久部良地区(駐屯地)
誘致の賛否を巡って地域社会が分断され、島の政治や人々の暮らしが、誘致に賛成した住民や自衛隊員たち、その家族の意向に左右されてしまうことが懸念される。周囲の長さが27kmの島で、自衛隊と混在して生活することを危惧する人々が、家族ごと島外に移住するという事態も起こっている。

翌3月29日には、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法が施行された。自衛隊の活動が格段に強化され、米軍とのあいだで基地の共同使用が拡大されていくことを懸念する沖縄の琉球新報は、この日、大きな紙面をさいて「安保法施行、在沖自衛隊を増強」という記事を掲載した。与那国島に続いて、宮古島に初動対応にあたる警備部隊と地対艦・地対空ミサイル部隊を800人、石垣島と奄美大島にも550人配備する計画が、順次、具体化されようとしている。

(2)アメリカの対中国戦略と要塞化する南西諸島
南西諸島には、宮古島の航空自衛隊分屯基地を除いて、これまで自衛隊は配備されてこなかった。この地域の急激な軍事化の背景を、いわゆる‘尖閣’を巡る日本と中国の領土問題として報道する本土メディアは多い。しかし、米軍の辺野古新基地建設や高江のヘリパッド建設に加え、南西諸島に自衛隊を配備することは、中国に隣接する同盟国に軍事的な役割を担わせようとする、アメリカの対中国戦略の一環である。この対中戦略、「エアーシー・バトル」や、それに代わる「オフショア・バランシング」について、参議院議員伊波洋一氏は、雑誌「世界」1月号で詳しく述べている。(注1)「エアーシー・バトル」では、中国軍のミサイルによる先制攻撃の兆候に対して、米軍はグアムに退避するという。日本列島全体が戦場になることが予想され、その危険性についてアメリカでも批判が大きい。それに代わるものとして、「オフショア・バランシング」が台頭してきた。これは、‘米中全面戦争にはエスカレートさせない、そのために日本が沖縄を含む南西諸島を戦場として差し出すことを求める’というものである。

10月18日に宮古島で開かれた住民説明会では、防衛省担当者が、尖閣・極東の‘安保環境’がいかに危機的であるかを強調して陸上自衛隊配備の必要性を訴えた。しかし、参加した住民からは、配備に伴い宮古島地域が攻撃対象となるリスクや、有事の際の具体的な住民避難計画がないことに対して不安の声が上がり、発言のほとんどが配備に反対するものであったという。石垣島でも9つの団体と個人が「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」を結成した。もっとも‘脅威’を感じているはずの住民たちのなかで、自衛隊の配備に反対する気運が高まっている。

南西諸島で軍備が強化されようとしていることに対し、各島の運動をつなぐ「南西諸島ピースネット」が作られた。基地建設反対の闘いに加わる人々は次第に視野を拡げ、中国を包囲するアメリカのミサイル防衛戦略と、それに組み込まれた日韓の軍備拡大が、問題の根本要因であることを理解するようになった。この戦略では、日本海から太平洋に出ようとする中国の艦船を検知し攻撃する地対艦ミサイル部隊、それに続いて飛来する航空機を監視、迎撃する地対空ミサイル部隊を、南西諸島に配置する。これらミサイル部隊は、中国の艦船の太平洋への通過を阻止し、第一列島線の内側に閉じ込めるというアメリカの戦略に組み込まれたものである。

(3)準天頂衛星追跡管制局の設置
与那国島に自衛隊が配備されようとしていた昨年後半から今年初めにかけて、宮古島、石垣島に目新しいアンテナが設置された。種子島、久米島にも、同様の設備がほぼ同時期に設置されている。
準天頂衛星石垣追跡管制局
(写真提供:山里節子)
準天頂衛星の追跡管制局と呼ばれるものである。沖縄本島恩納村には、前年に設置されている。準天頂衛星は、「測位衛星」である。
4機以上の衛星からの電波を地表の受信機で受信し、受信点の地理上の位置を特定するもので、日本版GPS(全地球測位システム)」と呼ばれる。[S.M.1] 測位をする際に必要となる衛星の位置と時刻の情報は、各管制局で受信した衛星からの電波情報をもとに計算され、恩納村の管制局に送られて、そこから再び衛星に送信される。南西諸島の各地に一斉に設置された追跡管制局は、準天頂衛星と電波の送受信をする、このシステムの基本的な構成要素である。文部科学省のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発主体となって、2010年に準天頂衛星1号機が打ち上げられた。これの開発に総額735億円がつぎ込まれた。それ以降は開発の主体が内閣府に移り、年間150~250億円の予算がついている。

準天頂衛星システムについて、南西諸島の自衛隊配備とは無関係であるとみなす人が多い。今年の8月13日付け琉球新報は、石垣島の「南の島の星まつり」記念講演会で行われた、国立天文台副台長と内閣府宇宙開発戦略推進事務局行政官の講演を報じている。前者は、国立天文台のプロジェクト「VERA」についての講演である。岩手県から石垣島にかけて設置された4基の電波望遠鏡を一体的に運用して、遠方の天体の位置を計測するという、純粋に科学の話であり、地元でもVERAの愛称で呼ばれ親しまれている。
VERAの石垣観測局
(写真提供:山里節子)
しかし、石垣島のVERA電波望遠鏡から数kmのところに陸上自衛隊が配備されるといわれ、その場合、敵艦艇や航空機などを検知する監視用レーダーが設置されるだろう。VERAの使用する電波の周波数は、2~45GHzの広い周波帯にまたがっており、監視用レーダーで使用する電波の周波数が、それに重なる可能性がある。そのため、レーダーの発信する電波がVERAの受信機に混入し、雑音となる恐れがある。2016年4月に石垣島で開催された住民説明会で防衛省が配布した資料には、この問題について、‘電波法を遵守して、影響を与えないように措置する必要がある’と記されているが、どのように混信を防ぐかということは言及されていない。一方、内閣府の行政官は準天頂衛星について講演し、地元に建てられた見慣れないアンテナに不安を感じる住民に対し、‘システムが整えば利用する機会が増えると思う。期待してほしい’と語ったとのことである。記事は、準天頂衛星について、日米両政府が推し進める宇宙の軍備強化との関連を一切論じていない。準天頂衛星システムの整備・拡張は、以下に述べるとおり、宇宙協力を通じた‘日米軍事同盟’の深化を図るために巨額の国家予算が投じられ、‘宇宙安全保障’の名のもとに優先的に取り組まれているものである。自動車のナビゲーションや自動走行、土地の測量や建設機械の自動制御など、大々的に宣伝される民生利用の背後に、この本質が隠されている。

(4)宇宙基本計画
1950年代中期に始まった日本の宇宙開発は、科学と、それを支える技術開発を中心に進められてきた。1969年の国会決議「宇宙の平和利用原則」によって一切の軍事利用は禁じられ、専門家は科学と民生利用の技術開発に専念した。少ない国家予算にも拘わらず、科学の水準は世界の最高レベルを維持し続けてきた。国家の威信をかけ軍事利用のもとで進められる他国の宇宙開発とは、一線を画してきたのである。2006年、太陽を観測する科学衛星「ひので」が鹿児島県内之浦から打ち上げられたとき、計画に関わってきた多くの国の科学者や技術者が、万感の想いでその打ち上げを見守った。平和利用に徹してきた日本の宇宙科学にたいする称賛と、間もなくその伝統が破壊されることを悲しむ気配が、打ち上げ場に満ちていた。

2年後の2008年、第一次安倍政権において、「宇宙の平和利用原則」は破棄され、軍事利用に道を開く宇宙基本法(注2)が制定された。以後、数年に一度改訂される「宇宙基本計画」に従って宇宙開発が進められ、次第に政府と宇宙航空産業(防衛産業)の意向が強く反映されるようになった。2013年に策定された第2次宇宙基本計画で、‘専守防衛の範囲内で’と書かれていた文言が削除され、ついに2015年度の宇宙基本計画(注3)は、宇宙開発の最重要目的が、‘積極的平和主義に基づく宇宙安全保障’であると宣言するに至った。

(5)準天頂衛星システム拡充の意味
2013年の「宇宙に関する包括的日米対話 第一回会合」(注4)の共同声明で、米国GPS及び日本の準天頂衛星システムによる測位、航法などのさらなる協力が盛り込まれた。それを受けて2015年の宇宙基本計画に、準天頂衛星を現在の1機から2017年には4機に拡充し、さらに2016年度の宇宙基本計画で、翌年から7機体制の開発を開始することが明記されたのである。完成は2023年ごろと見込まれている。その経費の総額は、4機で2000億円、7機では3800億円と見積もられている。

GPSは、アメリカ国防総省が管轄する軍事衛星で、ミサイル防衛の柱であり、無人機攻撃やミサイルの誘導に欠かせない。ロシアもGPSへの対抗措置として、同様の機能を持つGLONASSを運用し、中国、インド、欧州がこれに続いている。2015年度宇宙基本計画は、‘アジア太平洋地域の平和と安定のためにはアメリカの抑止力が不可欠’であり、‘抑止力の発揮のためにGPSが極めて重要な機能を果たしている’と述べている。さらに、GPS衛星が老朽化し、破壊された場合は、‘アメリカの抑止力が損なわれる’が、現在、その危険性が高まっているという危機感を表明している。これまで打ち上げられた推定6000機以上の人工衛星が、老朽化により多数の破片(宇宙ゴミとなり、宇宙空間に漂っている。1960年代から、米ソが、自国の衛星を自国のミサイルやレーザービームで攻撃し破壊する実験を繰り返してきた。さらに2007年に中国がミサイルで自国の衛星を破壊する実験を行い、2009年にはアメリカとロシアの衛星が衝突し、機体の破片などの宇宙ゴミが急激に増えた。そのため、航行する衛星に宇宙ゴミが衝突する危険性が高まったことが、GPSのぜい弱性を強調する背景となっている。宇宙基本計画で最優先課題とされた準天頂衛星システムの拡充は、GPSのぜい弱さを補い、さらに、日本列島から極東周辺地域の測位体制を各段に強化することが目的である。

GPSやGLONASSは、24機が地球の全体をカバーするグローバルなシステムであるのに対し、準天頂衛星は日本とオーストラリア大陸を結ぶ経度を中心にして、南北非対称の8の字の軌道を24時間かけて一周する、地域的な測位衛星である。準天頂衛星の送信周波数は、GPSのそれと完全に一致するよう設計されており、両方のデータを用いて精度の高い測位ができる。測位の精度は、GPSのデータのみでは10m程度であるが、準天頂衛星のデータで補えば1mから数cmの正確さで受信点の位置を決定できるといわれている(注5)。7機体制になると、日本上空に必ず4機が存在することになり、GPSのデータを使わずに24時間の測位が可能になる。巨額の税金がつぎ込まれる国家プロジェクトである準天頂衛星を活用する民生利用が、いま、産業界で活発に検討されている。‘システムが整えば利用する機会が増えると思う’という内閣府行政官の発言は、民生利用を強調することで、軍備拡張に対する社会からの批判を和らげる効果がある。「オフショア・バランシング」の構想で、沖縄から南西諸島の軍備を強化するためには、この地域の測位体制を整え、その精度を上げることが不可欠となる。さらに、読売新聞の報道によると、2023年ごろに宮古島に配備が予定されていると言われる新型地対艦ミサイルは、射程300kmで、軌道の中間段階ではGPSによる誘導で敵軍艦まで接近するという。今後、これに準天頂衛星のデータが使われる可能性がある。2016年3月18日の参議院予算委員会で、中谷防衛大臣(当時)が質問に答えて、滞空型の無人偵察機グローバル・ホークの導入を明言した。偵察機の誘導と自動着陸にも、準天頂衛星のデータが使われるだろう。南西諸島の軍備強化は、宇宙空間にまで広がっていくことになる。

(6)住民混在の戦いを繰り返してはならない
アジア・太平洋戦争末期、旧日本軍は、沖縄をアメリカの本土攻撃に対する盾として戦闘を展開し、20万人以上の死者を出した。‘あらゆる悲惨を集めた’と形容される沖縄戦の記憶は、今なお、沖縄の住民に受け継がれ、米軍基地建設に対する激しい抵抗運動の源泉となっている。一方、南西諸島などの離島では、米軍との直接的な地上戦はなかった。しかし、軍命により、石垣島や西表島などの住民は強制退去させられ、マラリア有病地域に移住させられた。飢えとマラリアで八重山地域だけで4000人近くの人々が命を落とした。強制退去は、軍が枯渇する食糧の現地調達のために、家畜や農産物などを接収することが目的であったと言われている。

周囲を海に囲まれた離島では、住民は逃げ場を失い、兵士と混在して戦闘に巻き込まれる。沖縄戦では、首里陥落のあとも32軍は降参せず、大本営の戦略のもとで本島南部への撤退を続けながら、住民を巻き込んだ持久戦を続けた。‘軍民一体’と評される所以である。2013年、沖大東島で行われた離島奪還訓錬について、琉球新報は「いったん敵に島を占領させた後、増援部隊が逆上陸して敵を撃破する戦い方が採用されたようだ。」と報じた。長い海岸線を持つ離島では、敵の上陸を事前に阻止することは不可能だ。住民混在の戦いにならざるを得ない。戦闘に先立って、いかに住民を安全に退避させるのかという点についての十分な検討がなされたという話は聞かない。住民の命を守るためには、軍備ではなく、戦争を回避するための外交と、周辺地域との交流を深めることが何より求められる。10月末に開かれた日本環境学会沖縄大会で、琉球大学の我部政明教授は、島嶼の安全保障における基本原則の一つに、‘周辺の世界との間の交通、運輸、通信の手段が安定的に存在する’ことを挙げた。近隣諸国とどのように信頼を築き上げるかを差し置いて、ひたすら軍備の拡張に走ることの危険性は計り知れない。

前田佐和子(まえだ・さわこ)
宇宙科学研究者、元京都女子大学教授。
著作 Transformation of Japanese Space Policy: From the “Peaceful Use of Space” to “the Basic Law on Space” Asia-Pacific Journal: Japan Focus 
http://www.japanfocus.org/-Maeda-Sawako/3243

当ブログにおける前田氏の過去の投稿は、
2011年9月16日「揺れる八重山の教科書選び 」
2012年5月31日「八重山教科書問題の深層」
2012年11月11日「アメリカが’統治’する沖縄」

(1)「軍事戦略の中の沖縄」 伊波洋一 「世界」2016年1月号 岩波書店
(3)平成27年度宇宙基本計画 http://www8.cao.go.jp/space/plan/plan2/plan2.pdf
(4)宇宙に関する包括的日米対話 第一回会合
(5)準天頂衛星システムの機能 内閣府 http://www8.cao.go.jp/space/pdf/qzs/kinou.pdf






 [S.M.1]陸・空自衛隊開発ミサイル誘導システムにはGPS誘導が採用されている12式地対艦誘導弾の中間誘導に、GPS誘導が追加された。

Friday, November 11, 2016

【書評】荒涼たる核の警告 ウィリアム・J・ペリー著、ジェリー・ブラウン評

ベルリンの壁の崩壊とともに冷戦が終結したのは1989年。27年前ということになる。冷戦時代は1947年からの42年間。すでにその半分をゆうに超える時間が「冷戦後」として流れてしまった。いま、「核シェルター」という言葉を聞くことはほとんど無くなっている。「核戦争による世界絶滅」が恐怖であったのは、まるで過ぎ去った冷戦時代のことのようだ。

しかしいったん雪解けを迎えたかに見えた核の恐怖は。拡大NATOによるロシア包囲とともに継続し高まっている。1954年以来60年にわたって米国軍事戦略を支えてきた老練のウィリアム・J・ペリー氏は、最近出版した回顧録『My Journey at the Nuclear Brink(私が辿った核の瀬戸際)』の中で、世界中の人々が忘却の中で夢中歩行をしていることを、彼の長い経験を元に警告している。

カリフォルニア州知事(2016年現在)のエドモンド・ジェラルド「ジェリー」・ブラウン・ジュニア氏による書評を翻訳して紹介する。

原文は
http://www.nybooks.com/articles/2016/07/14/a-stark-nuclear-warning/

(前文、翻訳:酒井泰幸)

荒涼たる核の警告

ジェリー・ブラウン評
ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス、2016年7月14日号

『My Journey at the Nuclear Brink(私が辿った核の瀬戸際)』
ウィリアム・J・ペリー著、ジョージ・P・シュルツ序文
スタンフォード・セキュリティー・スタディーズ刊

1994年から1997年まで米国国防長官を務めたウィリアム・J・ペリーよりも良く近代兵器の科学と政治学を理解する人を私は知らない。このような疑う余地のない経験と知性の持ち主が新刊の回顧録の主題である荒涼たる核の警告を発するとき、私たちは注意を払うべきだ。ペリーは率直にこう言う。「現在、ある種の核カタストロフィ(大惨事)の危険は冷戦時代よりも高まっていて、ほとんどの人々はこの危険のことを何も知らずに安穏としている」(注1)。核の危険は「毎年大きくなって」おり、たった1発の核爆発でさえ「我々の生活様式を破壊する可能性がある」ことも彼は語ってくれる。

明瞭、詳細だが力強い文体で、ペリーの新刊書『私が辿った核の瀬戸際』は、彼の70年に及ぶ核時代の経験を語る。彼の物語は、第二次世界大戦直後の「溶けた瓦礫の巨大なゴミ山」の中に住んでいる生存者とじかに遭遇したところから始まり、現在へと私たちを連れて行く。そこでペリーが懸命に警告するのは、私たちが危険な核の道を進んでいることだ。

広島と長崎の原爆投下を回顧して、単に都市が廃墟となるだけでなく、あらゆる文明の終焉が今や可能になったことを初めて理解したのはあの時だったとペリーはいう。「解き放たれた原子の力は全てを変えてしまったが、我々の思考様式だけは変わらなかった」というアインシュタインの言葉を彼は重く受け止めた。核兵器が「今や安全を脅かしている」という厳然たる事実を理解せず、核兵器が安全保障をもたらすと我々の指導者たちに信じ込ませているのは、「古い思考」でしかないと彼は断言する。

ペリーの回顧録は点を稼いだり恨みを晴らしたりするために書かれたものではない。彼はセンセーショナルな表現を使わない。だが、国防のインサイダーであり核の秘密の守護者として、彼がアメリカの指導者たちに説明責任を果たすよう強く求めているのは、彼が非常に悪い判断だと確信している一連の決定で、ロシア国境に達するNATOの急拡大(注2)や、ジョージ・W・ブッシュ大統領による弾道弾迎撃ミサイル制限条約(もとはニクソン大統領が署名)からの脱退などだ。

この本への序文で、ジョージ・P・シュルツはペリーを「絶対的な高潔さ」を持つ男だと述べている。彼の経歴は目覚ましい。数学の博士号をもち、カーター大統領の下で国防次官、ビル・クリントン政権で国防副長官を経て国防長官として、ハイテクビジネス、研究開発経営、兵器調達における膨大な知識と経験がある。

ペリーが第一歩を踏み出したのは早かったと書くが、1954年に26歳で上級科学者として採用されたシルバニアの電子防衛研究所は、今ではシリコンバレーと呼ばれる場所にあった。現在の私たちはこの地域をアップルや、グーグル、フェイスブックの本拠地と思うが、当時の主な業務は防衛産業、つまり大量破壊ビジネスだった。第二次世界大戦終結後のわずか十年たらずの間に、ソビエト連邦とアメリカの両国は水素爆弾を開発し、第二次世界大戦で使うことのできた通常爆弾の破壊力に対し百万倍に増大した。学童は机の下への「ダックアンドカバー」(頭をかがめて身を守ること)を教えられ、公共の建物ではもし核攻撃が起こったら避難する場所を示す標識が目立つ場所に掲示された。

ペリーが電子防衛研究所で最初にした仕事は「電子防衛システム計画案の評価」で、これは「襲来するソビエト大陸間弾道ミサイル(ICBM)の誘導信号」の妨害を狙ったものだった。綿密な調査の後、彼が報告したのは、妨害が成功すれば中規模核攻撃での死者の約3分の2を防げる、つまり即死者を7千5百万人から2千5百万人に減らせる可能性があることだった。だが彼は後にこの推計では放射線と「核の冬」による長期的な死者数を考慮していなかったと指摘した。報告書には治療が受けられない何千万人もの負傷者や完全に崩壊する経済・社会基盤のことも入っていなかった。

大規模核攻撃に対して容認できる防衛策は存在しないという結論にペリーが到達したのはこの時であり、彼はこの見解からけっして逸脱しなかった。何人かの大統領を含む多くの政治指導者たちは、ペリーに異議を唱えて様々な種類の対ミサイル防衛システムに出資してきたが、その最新のものが東ヨーロッパに現在配備中の弾道ミサイル防衛システムだ。

シリコンバレーで始まり、その後も推進された秘密の防衛研究を支えた、何十億ドルもの連邦予算を解き放ったのは、冷戦期の核による全滅の恐怖だったとペリーは回想する。技術革新や、私的利益と税金、民生ハイテク機器と大量破壊兵器、人工衛星技術、コンピューター、拡大を続ける監視網といったものが、秘密であれ公開であれ、どのように相互に結びついているか、ペリーは誰よりも熟知している。だが彼は今、この暗黒の知識を使って、彼が中心的な役割を担っていた激しい軍拡競争を、反転させるために奮闘する。

ペリーは全てが始まる時に立ち会った。エリートの一員として、彼はCIAと国家安全保障局がソビエトのICBMを評価するために設立した極秘の「テレメトリーおよびビーコン解析委員会」の一員だった。彼は米国のU-2スパイ用偵察機が収集した画像を解析するチームにも所属していた。U-2偵察機は1956年から画像収集を始め、4年後にゲーリー・パワーズが操縦するU-2偵察機がソビエトに撃墜されてこの計画は終了した。彼はソビエト連邦との間に「ミサイル・ギャップ」があるかどうかを判断するためCIA長官のアレン・ダレスが1959年に組織したチームの一員でもあった。実際にはギャップは存在しなかったのだが、ペリーがこの本で明かすように、彼が書いた報告書は何十年も秘密にされた。

そして、キューバ・ミサイル危機が高まっていたとき、ペリーは分析官の小さなグループの一員に選ばれ、キューバに配備されつつあったソビエトのミサイル情報を収集して昼夜を問わず働いた。彼らは画像その他のデータを分析し、作成した報告書は毎朝ケネディー大統領に届けられた。

ケネディー大統領が米国民に向けた演説の中で、キューバから核ミサイルが1発でも発射されれば「ソビエト連邦への全面的な報復」で対抗すると言ったとき、ペリーにはそれが何を意味するのかはっきりと分かった。彼はこのような核戦略を10年間研究していた。分析センターへ毎日通いながら、彼はこれが「人生最後の日」かもしれないと内心で思っていた。

キューバ危機で核のホロコーストを回避できたのは運が良かったからだとペリーはいう。何年も後になって、核戦争へと追いやりかねない危険な状況がさらにいくつかあったことが判明した。

第一に、米国が敷いた海上封鎖に接近中のソビエト艦船は、核魚雷で武装した護衛潜水艦を伴っていたと、ペリーは書く。潜水艦との通信が困難なため、ソビエト政府は潜水艦の司令官に許可なしで発射する許可を与えていた。アメリカの駆逐艦が潜水艦を浮上させようと迫ったとき、艦長と政治担当官は共に駆逐艦に対し核魚雷を発射する決断をした。核対立を回避できたのは、艦隊の総司令官であるヴァシーリイ・アルヒーポフもその潜水艦に乗船していたからだった。彼は発射命令を却下し、核戦争の始まりとなり得る事態を回避した。(注3)

第二に、この危機のとき、ヨーロッパに駐留していたアメリカの偵察機が航路をそれてソビエトの領空に侵入した。ソビエトは即座に攻撃機を緊急出動させ、アメリカの戦闘機もアラスカの空軍基地から飛び立った。アメリカ側は核弾頭ミサイルで武装していた。幸い、アメリカ偵察機のパイロットがソビエト領空に迷い込んだことに気付き、ソビエトの迎撃機が到着する前に領空を出た。

ほぼ同時刻に、アメリカのICBMがカリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地から発射された。これは打ち上げ試験として定期的に実施されたものだったが、ソビエトに誤解されても仕方ないものだった。幸運にも、誤解は起きなかった。

悲惨なことに、核による全滅にこれほど近付いたにもかかわらず、ソビエト連邦と米国の指導者たちは核競争を減速させる努力を全くせず、正反対のことをした。ペリーはここに核兵器の新しい現実とは全く食い違った「超現実的な思考」が働いていると見る。確かに、ワシントンとモスクワの間にホットラインが開設されたが、これを除けば米ソ両国の戦略的思考は何事もなかったように続いた。

ペリーはキューバ危機のいくつかの厄介な側面を指摘する。戦争に突入したいと望む顧問が米ソ両側にいたと、彼は書く。メディアはこの危機を「『勝った』『負けた』のドラマ」として扱った。最後に彼は、政治指導者たちは戦争を始める意気込みが強いほど大衆の承認を得ていたように見えると意見を述べる。

結果として、核弾頭とそれを載せる運搬手段の両方で、いっそう複雑な競争が始まった。当時の米国国務長官ディーン・ラスクは「我々は『にらめっこ』をしているのだが、相手方はちょっと瞬きしたみたいだ」(注4)と勝ち誇ったように宣言した。もしこれでアメリカが勝ったと言いたかったのだとすれば、彼は間違っていた。ソビエトは核軍備の増強にさらに力を入れ、これに米国も追随し、両国が各々製造した何千発もの危険な核兵器は、もし使用されれば広範囲の人類を壊滅させかねないのだ。

核の脅威は自分を雇っていたシルバニアのような防御研究所にとって非常に良いビジネスを意味するものでもあったと、ペリーは率直に認める。そこでの彼の研究は、ソビエトのミサイルと宇宙システムを理解することが中心で、このハイテク・スパイ戦の仕事は気分を浮き立たせ高い利益を生むものだと彼には分かった。彼の任務は技術的手段による冷戦情報の収集だった。だがシルバニアは問題を抱えていた。同社は真空管の製造で世界トップ企業だったが、折しも新しい半導体技術が出現しつつあった。ペリーが明確に見通していたのは、シルバニアのアナログ技術に間もなく取って代わるのは、フェチャイルドセミコンダクターの新しい半導体デバイスに基づくデジタル技術と、当時ヒューレット・パッカードのような会社で設計中だった新しい小型高速コンピューターだということだった。今こそ自分で踏み出す時だと彼は決意し、4人の仲間とESL社(電磁システム研究所)を設立した。

新会社の仕事は最高機密となるもので、その成果物も顧客も明かすことが許されなかった。それでも、その後13年間でESLは次から次へと政府の契約を獲得し、1000人以上の従業員を抱えるまでに成長した。歴史的には、情報の解釈は政府機関の専権事項だったが、情報活動の最重要の標的のいくつかは極めて技術的なものになっていた。その中にはICBM、核爆弾、弾道ミサイル防衛システム、超音速機などがあった。これらの複雑な兵器システムのデータを集めるためには、技術スパイにも同様に複雑なものが必要だったとペリーは説明する。連邦政府は必要な知識と技術を持つ民間企業との契約を開始し、ESLはその先陣を切った。ペリーの指揮の下、彼の会社はテレメトリー解析やビーコンとレーダーのデータ解析で長期契約を獲得し、ソビエトの脅威の性質と程度を理解する国家活動に欠かせない会社となった。

ペリーにとって次の段階は、1976年にジミー・カーターが選出された時に到来し、そのとき新しい国防長官がペリーに研究技術担当国防次官となるよう要請した。その後4年間、ペリーはこの仕事に没頭し、彼が学んだこと全てを使って、アメリカが戦闘能力を飛躍的に向上するのを指揮した。この戦略は3つの要素で構成されていた。(1)敵の全勢力をリアルタイムで探知するインテリジェントなセンサー、(2)超高精度で目標を攻撃できるスマート兵器、そして(3)敵のレーダーを回避するステルス・システムだ。核時代の大きな逆説は、核戦争の抑止力はますます致命的で精密な兵器を作ることによって追及されるということだ。ペリーの場合、それが彼の使命であり、彼はそれを想像力と卓越した技術を使って遂行した。彼が直面した問題は、ソビエト軍は通常戦力で3対1の優位性を持っていると見られていて、アメリカがソビエトをヨーロッパへの侵攻から食い止めるには核戦力しかないとされていたことだった。

公私の専門家たちがでっちあげた答は、「根本的に新しく非常に高度な相殺戦略」を作るというものだった。技術を通じて、アメリカは戦場でのソビエトの軍事的優位を相殺するのだ。この成果には、F-117ステルス攻撃機とB-2ステルス爆撃機、スマート砲弾、短距離・長距離の巡航ミサイル、偵察機などがある。

これら新兵器が実際に使用されるのはさらに10年以上を待たねばならなかったが、ついに第1次湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」で、アメリカ軍は明確な優位性を実証した。ペリーが書くように、「F-117はイラクで約1000回の作戦飛行を行い、約2000発の精密誘導弾を投下して、その約80%が目標に命中した」が、この精度は以前なら想像できなかったものだ。「ソビエトが設計した何百もの近代的な防空システム」をものともせず、「バグダッドの夜間攻撃で航空機は1機も失われなかった」。

成功は残念ながら過信につながることがあるが、第1次湾岸戦争の成功でジョージ・W・ブッシュは安心し、もう一度戦争しても同じような戦果を上げられると考えたのではないかと、私は思う。技術的能力では、民族の分裂、歴史的な憎しみ、宗教的信念という人的要因を必ずしも克服できないことを、いま私たちは知っている。

ペリーは米国の核戦力に関する重要な技術的進歩の貢献者だった。彼の力により、核作戦と非核作戦のどちらにも使うことができるB-2戦略核爆撃機を立ち上げ、老朽化するB-52に空中発射巡航ミサイルで新しい命を吹き込み、トライデント潜水艦計画を再び軌道に乗せ、失敗に終わったものの弾頭10個を搭載するミサイルのMX ICBMの実戦配備を試みた。

核抑止力には敵側の兵器ひとつひとつに対抗することが必要だと彼が信じていたわけではないが、彼は政治的圧力に同調して競争相手に追随することにした。その時も現在と同様に、アメリカはいわゆるトライアド(3つ組)の中の1つだけで必要な抑止力を全て持てると信じていたと、ペリーは書く。それはトライデント潜水艦だ。軍が潜水艦を追跡し破壊することは非常に難しく、抑止力には十分すぎるほどの火力を有しているからだ。爆撃機はトライデント戦力に一時的問題が生じるという確率の低い偶発的事象に対する保険になるだけだが、通常戦力を強化するという二重の役割も持っている。米国のICBM戦力は彼の考えでは冗長だ。確かに、間違った警報の結果として偶発的核戦争が始まる危険は、抑止力の価値を上回る。

多くの専門家はこれに同意するが、歴代の大統領たちは政治的で危険の高い道を進み、米国の核戦力をロシアと「同等」の規模にする。このような負けず嫌いで愚かな行為は必ず終わりのない拡大につながる。(注5)

核兵器を実際に使うことはできないので、同等性は「古い思考」だとペリーは私たちに語る。制御不可能で破滅的な拡大のリスクは大きすぎる。核による報復で敵を脅かすのに役立つだけだ。核兵器を備えた米国の潜水艦戦力は、実質的に難攻不落で、この抑止力の機能を十分に果たすことができる。(抑止力の政策は、大量殺戮の実行をほのめかすことを憂慮する人々によって厳しく批判されていることに注目すべきだ。(注6))

カーター大統領の下、国防総省でのペリーの最初の任期で、敵戦力を相殺しアメリカの安全を守るハイテクの力への絶大な信頼を彼は示した。だが1994年に、ビル・クリントン大統領の国防長官になったとき、米国は全く異なる一連の安全保障問題に直面した。冷戦は終わり、旧ソビエト連邦の核兵器が置かれたのはロシアだけでなく、核兵器を守る能力を持たない3つの新しい共和国にも置かれることになった。

ペリーはこの「流出核」を最重点課題にした。彼は、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンにあった何千発もの核兵器全てを解体する手はずを何とか整えた。ソビエトのSS-19ミサイル用に作られたサイロを訪れ、もうもうとした土煙となって崩壊するのを見たことを、彼は感動的に語る。その前に、彼はその場所を訪れ、若いロシアの将校から、彼らの統括する何百発ものミサイルがどのように米国の目標に向けて発射されるかを聞かされた。正にその瞬間もアメリカのミサイルが標的にしている場所で、カウントダウン演習を見学しながら、彼は核競争がどんな愚かさを作っていたのか分かった。

それから激動の日々が続く。SALT IIの下、米ロ両国で何千発ものミサイルと弾頭が破壊され、膨大な量の化学兵器が廃棄された。流出核物質は確保され、ロシアの核科学者たちはモスクワに設立された技術研究所で非軍事の仕事を与えられた。これら全てを可能にしたのは、サム・ナンとリチャード・ルガーという2人の上院議員が出資した計画があったからで、議会がかなりの資金を提供した。(現在この計画は打ち切られた。)今にして思えば、この兵器の破壊と米ロ間の継続した協力をペリーは小さな奇蹟と見ている。1992年から1995年のボスニア戦争で両国は軍事的な協力さえ行った。

だがこのような善意は長く続かなかった。1996年に、当時国務省の次官補だったリチャード・ホルブルックは、NATOを拡大してポーランド、ハンガリー、チェコ共和国、バルト三国を加盟させることを提案した。ペリーは、これが非常に軽率な行動であり何としても遅らせるべきだと考えた。50人の著名なアメリカ人の一団が、保守・リベラルを問わず、NATO拡大に反対してクリントン大統領への書簡に署名した。署名者の中には、ロバート・マクナマラ、サム・ナン、ビル・ブラッドリー、ポール・ニッツェ、リチャード・パイプス、ジョン・ホルドレンがいた(注7)。だがその甲斐もなかった。ポーランド、ハンガリー、チェコ共和国にNATOへの即時加盟を認めるクリントン大統領の決定に反対する閣僚は、ペリーただ一人だった。(注8)

その年、1996年は、結果的に米ロ関係が最高潮に達した時だった。NATO拡大はクリントン大統領の第2期に始まった。ジョージ・W・ブッシュ大統領が選出された後、NATOはさらに多くの国を取り込んで拡大し、遥かにロシア国境まで達した。ブッシュは弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)からも米国を脱退させ、東ヨーロッパにABMシステムの配備を開始し、その結果リチャード・ニクソンの重要な功績を否定し、防衛システムがあれば決然とした核ミサイル攻撃すら打ち負かすことができるという錯覚を助長した。

『私が辿った核の瀬戸際』は核の危険の新時代における過去60年のアメリカの政策の類い希な記述だ。ペリーが明らかにするのは、核テロリズムの危険は大きいこと、そしてワシントンD.C.でさえテロ攻撃と無縁ではないことだ。じっさい、彼が提示するのは、テロリストが即席の核爆弾を作り上げホワイトハウスとキャピトル・ヒルを爆破して、8万人以上を殺害し社会を完全に破壊するという、説得力のあるシナリオだ。ペリーはインドとパキスタンの間で局地核戦争が起き、地球規模の壊滅的な影響を引き起こす可能性もあると警告する。

この本が出版されてから、ペリーが確認した危険は高まるばかりだ。最近の米国国防予算は今後数十年間で核兵器の近代化に1兆ドルを支出することを提案している(注9)。この近代化計画は米国の核のトライアドを完全に更新することを見込み、新型の巡航ミサイル、原子力潜水艦、ICBM、爆撃機などが含まれる。これに呼応してロシアの国防大臣は、ロシアは「5つの新たな戦略核ミサイル連隊を投入する」と先日発表した。これは、40以上の新たな大陸間弾道ミサイルをロシアの核戦力に加えることをプーチン大統領が明らかにした後の発表だった。(注10)

そしてこの7月に、米国はポーランドのミサイル防衛施設予定地で起工式を行い、ルーマニアのミサイル防衛施設を公式に稼働させたが、そのときプーチンはこう警告した。「今やこれらのミサイル防衛施設を配備されたのだから、ロシア連邦の安全のためには…、この脅威を無力化する方法を考えざるを得ない」(注11)(強調は評者が加えた)。

核の危険という主題に関してウィリアム・ペリーが身につけた運営経験と技術知識を、他に持っているという人を私は知らないし、聞いたこともない。彼のような英知と高潔さを持つ人は少ない。ならば、なぜ誰も彼の言うことに注意を傾けないのか? なぜ核のカタストロフィの恐怖は多くのアメリカ人の心から遠いところにあるのか? そしてなぜ米国政府高官のほぼ全員が彼とは意見を異にして核の否認の中に生きるのか? ペリー自身がその答を示しているようだ。

我々の最大の危機は、核による破滅への準備は既に整っているが、ほとんどは海面下や遥か遠方の不毛地帯に隠されていて、全地球的な公的意識の遥かに及ばないところにあるということだ。消極主義が広範に見られる。おそらくこれは敗北主義とその仲間、注意散漫という問題なのだ。おそらくある人々にとって、それは主として「思いも寄らぬこと」に直面したときの最も原始的な人間の恐怖だ。別の人々にとって、それは、核攻撃に対して容認できるミサイル防衛が存在する、あるいは存在するかもしれないという錯覚を歓迎しているのかもしれない。そして多くの人々にとって、それは、核抑止力は永久に続くという信条、指導者たちはいつも十分に正確な情報を即座に知り、事件の本当の背景を知り、悲劇的な軍事的誤算を避ける幸運を享受するという信条を、持ち続けることのように思われるだろう。

多くの人々はワシントンの明らかな機能不全を訴えるが、比較にならないほど大きい「核による破滅」の危険を見る人は少ない。それは隠されていて公的意識の外にあるからだ。解説や討論で満ち満ちた大統領選の年であるにもかかわらず、ペリーを悩ませる大きな問題を議論する人は誰もいない。しばしば公の議論を支配する硬直した服従のもう一つの例だ。ずっと前に私がこれを見たのはベトナム戦争の時、そして後のイラク侵攻でもそうだった。知性ある人々がしていたのは愚かな、そして壊滅的なことだった。ヨーロッパの指導者たちを第一次世界大戦に引き込んだ愚行と、ベルサイユで解き放った大混乱を指して、今の歴史学者が使う言葉が「夢中歩行」だ。そして夢中歩行は今も続いている。NATOとロシアは軽蔑の言葉を投げ合って軍隊を蓄え、モスクワとワシントンは核の過剰殺傷能力を近代化する。新しい冷戦だ。

さいわい、ウィリアム・ペリーは夢中歩行をしていない。彼は著書『私が辿った核の瀬戸際』で手遅れになる前に目を覚ませと私たちに語りかけている。彼の本を読むことから始めようではないか。



1 ウィリアム・J・ペリー、「国家安全保障、世界巡り」2016年ドレル講演会、国際安全保障および国際協力センター、スタンフォード大学、2016年2月10日。

2 「時期尚早なNATO拡大で、滑りやすい坂道の滑落が始まったと、私は確信し、東欧諸国の早期NATO加盟による否定的側面は私が恐れていたより悪いと、私はすぐに確信するようになった」(p.152)。

3 「世界を救った男」、死者の秘密、PBSテレビ、2012年10月23日。

4 スチュワート・アルソップ、チャールズ・バートレット、「危機の時代に」、サタデーイブニングポスト紙、1962年12月8日を参照。

5 エドモンド・G「ジェリー」・ブラウン・ジュニア、「核中毒:返答」、Thought誌、第59巻、232号(1984年3月)を参照。

6 「過去15年間、特に冷戦を背景として、我々米国カトリックの司教は核兵器がいくらかの道徳的正当性を持つという可能性を不本意ながら認めてきたが、それは核軍縮が目標である場合に限られる。我々が現在、祈りを込めて判断したのは、この正当性が今は無いということだ。」米国パックス・クリスティの司教たち、「核抑止力の倫理観:その評価」公開書簡、1998年6月。

7 書簡の全文と全署名者の一覧は以下で閲覧可能。 www.bu.edu/globalbeat/nato/postpone062697.html

8 1998年にジョージ・ケナンがニューヨーク・タイムズにこう語った。「[NATO拡大は]新しい冷戦の始まりだと私は思う。ロシアはだんだんと全く敵対的な対応をするようになり、それがロシアの政策に影響すると思う。悲劇的な間違いだと私は思う。何であれこのことに理由など全く無かった。どの国も他国を脅かしてなどいなかった。この拡大はアメリカ建国の父たちを墓の中でひっくり返らせるだろう。我々には真剣に取り組む手腕も意図も無いとはいえ、我々は多くの国々を守るために署名した。」トーマス・L・フリードマン、「外交問題;今読むX氏からの言葉」ニューヨーク・タイムズ、1998年5月2日を参照。

9 ジョン・B・フォルフスタール、ジェフリー・ルイス、マーク・クイント、「1兆ドルの核のトライアド」、ジョン・マーチン核不拡散研究センター、モントレー、2014年1月。

10 マリア・キセリョワ、ポリナ・デヴィット、「ロシアが西翼に核連隊から新師団を展開」ロイター、2016年1月12日。

11 イリヤ・アルキポフ、マレク・ストルゼレスキ、「プーチン、NATOミサイルの盾はヨーロッパの平和に対する脅威と警告」ブルームバーグ、2016年5月13日。既存の米国法は「限定的弾道ミサイル攻撃」を避けるためミサイル防衛システムの配備を許容している(www.congress.gov/106/plaws/publ38/PLAW-106publ38.pdf を参照)。「限定的」という言葉はロシアや中国を狙った大規模ミサイル防衛システムの配備を避けることを意図したもの。2017年度に提案される国防権限法案はテッド・クルーズ上院議員が導入した特に危険な条項を含み、既存の法律から「限定的」という言葉を削除し、これによってロシアと中国に向けた拡大ミサイル防衛システムの基礎を築くものだ(www.cruz.senate.gov/?p=press_release&id=2639 を参照)。このような行為は既に不安定になっている世界秩序に極めて撹乱的な影響を与える。

新基地は絶対作らせない決意を示した名護市民

10月29日、島ぐるみ会議名護の主催で、瀬嵩の浜(名護市)で集会が行われ、350人が参加しました。名護在住の作家、浦島悦子さんにその宣言文と写真を提供されたのでここに紹介します。




宣言文

 去る916日、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しに対して安倍政権が起こした違法確認訴訟で、福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長は、沖縄県敗訴の判決を言い渡しました。民意を体現する沖縄県の主張は一顧だにせず、「辺野古が唯一の解決策」と政府の言い分を100%認めたのは、三権分立の完全な放棄であり、司法自らが地方自治と民主主義を否定したことにほかなりません。

 辺野古新基地建設と連動する高江のオスプレイパッド建設をめぐっては、何がなんでも工事を強行するために全国から大量の機動隊を送り込み、非暴力で抵抗する住民・市民に対し、屈強な機動隊員による暴力と人権侵害、国家権力を振りかざしたあらゆる違法行為が横行しています。大阪府警機動隊員による「土人」発言は、その象徴とも言えるでしょう。

 沖縄県が103日に上告した最高裁の確定判決が年内もしくは年度内に出ると予測されており、それを機に安倍政権は、中断している辺野古・大浦湾での作業を一気に再開する可能性があります。

 私たち名護市民は19年前、199712月の名護市民投票で、政府のあらゆる圧力をはねのけて「新基地NO」の市民意思を内外に発信しました。それは、母なる海=地域の自然と子どもたちの未来を守り、戦争を二度と許さない強い思いと、「大事なことはみんなで決めよう」という意思が結晶した成果でした。

 私たちは今こそ、その原点に立ち戻らなければなりません。当時の比嘉市長が政府の圧力に屈して基地を受け入れたあとも市民意思は生き続け、2010年、名護市民は「海にも陸にも基地をつくらせない」稲嶺進市政を誕生させました。2期目の市長選では、政府がちらつかせた「500億円の名護振興基金」を蹴とばして「名護マサー」の面目と誇りを見事に示し、再選を勝ち取ったのです。

名護から始まった「基地からの自立」を求める流れは沖縄県全体の大きな流れとなり、2014年には「辺野古新基地建設阻止」を掲げる翁長県政が誕生しました。それは今や、ゆるぎない県民意思となり、その意思をバックに、それを実現するために翁長知事は不退転の決意で安倍政権に立ち向かっています。名護市民はその流れを作り出したトップランナーなのです。

この20年を振り返り、いま、戦争への道をひた走ろうとする安倍政権、そして人類の置かれた危機的状況を考えるとき、私たちの進むべき道は明らかです。

私たちの目の前に広がる大浦湾、太古の昔から変わらず、寄せては返す波、背後から私たちを守る緑の山々…。命と暮らしを支えるそれらの自然を未来に引き継ぎ、この島を二度と戦火で荒らさず、平和の灯を全国に、全世界に広げていくために、私たちは政府の押し付けてくる不義に決して屈せず、辺野古にも高江にも、新基地は絶対つくらせない決意をここに改めて宣言します!

20161029


今こそ当事者の声を! 辺野古新基地を絶対つくらせない名護市民集会参加者一同