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Wednesday, April 23, 2014

What Happened to Japan's Plan for "Zero Nuclear Power by Year 2030"? - A column by SAITO Minako 斎藤美奈子コラム(東京新聞)英訳

Here is an English translation of Satito Minako's column that appeared in Tokyo Shimbun on April 16. 4月16日『東京新聞』の斎藤美奈子氏による「本音のコラム」の英訳です。

The Focus of Our Attention

By SAITO Minako, 
Translation by Yayoi KOIZUMI

Tokyo Shinbun, April 16, 2014,

From Column of Hon’ne (true inner feelings)

“Nuclear energy is an important base-load power source”; “We will continue to restart the nuclear power plants that meet regulation standards.” The basic energy plan, approved by the government in a cabinet meeting on April 11th, made a malevolent return  to the state of energy plan to the level similar to what it was prior to 3.11.  The content of the new plan makes you stop and say, “are you serious?” 

Whatever happened to the policy put together two years ago, by the Noda Yoshihiko administration (of Democratic Party of Japan), touting to “make operation of nuclear power plant to zero within the 2030s”? That particular policy was created legitimately, having gone through proper channels of hearings, public comment period, and use of deliberative poll to gauge public opinions.

Even though it was its own party’s policy which was rejected by the Abe LDP administration’s new plan, the Democratic Party has not guts to fight; the party representative Kaieda Banri failed to express a clear opposition against the plan as he meekly called it to be “impossible to evaluate.”  Worse, on April 4th, in the lower house, the party voted yes to the Nuclear Power Agreement Approval Plan (原子力協定承認案), which will allow Japan to export nuclear energy. This, is the kind of attitude that drives away even more supporters from the party, hmm-hmm.  

About the Fukushima nuclear accident, the new plan says: “we would like to face steadfastly with the heartaches of those who have been affected by the accident.”  Is this an emotional sort of issue for them, one you can conveniently put aside only by acknowledging “the heartaches of the victims”?!

Even worse: on April 11th, to the inquiry by the former Prime Minister Kan Naoto, about the basis for their claim for “the strictest standard in the world” applied for the safety and restart of nuclear power plants, a person in charge from the Energy Ministry responded: “I am unable to answer the question.”

While such issues of grave importance were being discussed in the Diet, our media instead was making a hoopla about Ms. Obokata Haruko’s STAP cell’s  existence. (1)

That’s science, but these nuclear issues are also science. Both are science. Ask yourself: which one should we focus our attention to?
 
SAITO Minako (斎藤美奈子, 1956-) - Saito is an award-winning literary critic, feminist writer, prolific author.  More information about Saito is available on a Japanese-language website managed by her publishing agent and also on Japanese Wikipedia.
Yayoi KOIZUMI is a Ph.D. candidate in the field of East Asian Literature, Religion, and Culture at Cornell University. She is working on a dissertation on the representations of people of African
descent in Japan since the WWII. She can be contacted at yk234 at cornell.edu.
Note
(1) Obokata Haruko, a female scientist, is currently under media fire for the charges of perjury in one of her high-profile work on STAP cell. See: https://en.wikipedia.org/wiki/Haruko_Obokata and https://en.wikipedia.org/wiki/Stimulus-triggered_acquisition_of_pluripotency_cell



 

Friday, April 11, 2014

集団自衛権行使を容認することは67年間守り抜いてきた「新憲法という時代の精神」をぶっ壊すこと:大江健三郎

無謀無策なアジア太平洋戦争を起こし、甚大な被害を出して敗北した日本。戦争で死んだ人を記憶するとき「この人たちの犠牲があるから今の平和や繁栄がある」という言い方をする人がいるが、これには大きな問題がある。戦争で無駄死にさせられた内外の民間人も兵士も、後世の平和や繁栄のために死んだのではない。家族の幸せも生きていく喜びも全て奪われていった人たちの無念を思うと、「あの犠牲があるから今の平和がある」なんて失礼な言い方はできないはずだ。アジア太平洋戦争で無為な殺戮を大量に行った反省から日本国憲法が生まれたのである。「あの犠牲があるから今の○○がある」とどうしても言いたいのなら、それは日本国憲法であり、憲法を守り戦争や戦争準備をしないことによってしか、その人たちの無念と怒りと生きたかった気持ちを生かす道はない。それが、ここで大江健三郎氏がいう、「新憲法という時代の精神」である。憲法9条の最後の砦である集団自衛権行使権禁止を解除するという違憲行為によって、国外で再び戦争ができる国になることは絶対許されないのである。戦争で殺された人たちの無念さを忘れず二度と同じ過ちを犯さないためにも。@PeacePhilosophy

2014年4月8日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「解釈で憲法9条を壊すな!4­・8大集会」における大江健三郎氏の演説
http://www.youtube.com/watch?v=EP0HHWZMBAM

撮影=レイバーネットTV。


 

以下は「しんぶん赤旗」に掲載された要旨です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-10/2014041003_01_1.html

4・8大集会/大江健三郎さんのスピーチ (要旨)時代の精神・憲法守るため漱石の「示威運動」を今こそ
 ちょうど100年前に小説家の夏目漱石は『こころ』を書きました。英文学者の漱石は、デモンストレーションという言葉を翻訳して「示威運動」という訳語を作りました。この言葉は、少しも流行しませんでした。日本で「示威運動」という言葉が流行しなかったのは、ずっとデモンストレーションというものがない社会体制だったからです。しかし、漱石は、「示威運動」が重要だといいました。
 漱石が死んで30年たって、あの大きい戦争が始まり、広島、長崎を経験して戦争に敗れました。
 そして67年前、私は12歳でしたが、日本人は新しい方針をつくった。新しい憲法をつくりました。そして憲法を自分たちの新しい精神として、新しい時代の精神として生き始めたわけです。
 私はもう79歳です。私の人生はこの新憲法という時代の精神のなかでおこなわれたんです。戦争をしない、民主主義を守るという根本の精神がすなわち私の生きた時代の精神なんです。それを私は死ぬまで守り抜きたいと思っています。
 夏目漱石が「非常に危ない時代」だといったのは、明治の終わりにもう彼はそういう危機を感じ取っていたからです。いまのまま日本がすすんでいくと、大きいゆきづまりに出あうに違いないと彼はいった。そして30年たってあの戦争が起こりました。
 ところが、いまの政府は、いろんな犠牲によってできあがり、私たちが67年間守り抜いてきた時代の精神をぶっ壊してしまおうとしています。それも民主主義的な方法じゃない。内閣が決めれば、日本が集団的自衛権を行使して、アジアでおこなわれる、あるいは世界に広がっていくかもしれない戦争に直接参加する。保守的な政府すらも守り抜いてきたものを民主主義的でない方法で国民投票もなしに一挙にぶち壊して新しい体制に入ろうとしているわけです。
 いま、日本人の時代の精神がもっとも危ないところに来ていると思います。戦争しない、民主主義を守るという、67年間続けた時代の精神を守るために私たちにとりうる方法は、漱石のいう「示威運動」すなわちデモンストレーションです。
 私たちが未来の子どもたちに守りうる時代の精神、次の世代のためのもっとも大切な、もっとも難しい仕事がこの集会、デモから始まるんだということを改めて強く自覚したい。しっかり歩きましょう。

沖縄での5月3日の憲法イベント紹介!

Friday, April 04, 2014

『琉球新報』連載「OKINAWAへ 海外識者メッセージ」シリーズ全12回 Messages to Okinawa, from 12 signers of the international action to oppose US military expansion in Okinawa

琉球新報 に1月28日から3月21日まで随時掲載された「OKINAWAへ~海外識者メッセージ 」シリーズ(1-12回)は、5回目まではウェブサイトに掲載されました。リンクは、

第1回 ピーター・カズニック(米国)
第2回 ジョセフ・ガーソン(米国)
第3回 ジョン・フェファー(米国)
第4回 ケビン・マーティン(米国)
第5回 アレクシス・ダデン(米国)

6回目以降はされていないようなので下に紹介します。

このシリーズは、1月7日に最初の29人1月28日に第二弾で103人体制で発表した「海外識者・文化人声明」の賛同者の中から12人の人たちに寄せてもらったメッセージをまとめたものです。このグループが呼びかけている辺野古基地反対・普天間基地返還の署名運動はまだ続いていますので、まだ署名していない方はお願いします。誰にでも署名いただき、世界中どこにいても署名できるものです。日本語版はhttp://chn.ge/1glVJSw。英語版は http://chn.ge/1ecQPUJ


第6回 3月12日 スティーブ・ラブソン(米国)

第7回 3月13日 ガバン・マコーマック(オーストラリア)



第8回 3月14日 ブルース・ギャグノン(米国)
第9回 3月16日 ハーバート・ビクス(米国)

第10回 3月18日 デイビッド・スズキ(カナダ)


第11回 3月20日 ジョイ・コガワ(カナダ)


第11回 3月21日 ノーマ・フィールド(米国)

Thursday, April 03, 2014

福島の検診で発見された小児甲状腺がんの男女比は、自然発生型よりもチェルノブイリ型・放射線被ばく型に近い:松崎道幸医師

北海道深川市立病院の松崎道幸医師からの投稿です。 以下松崎氏より。
福島甲状腺がんが被ばくと関連するかどうかを、性比(男女比)で分析したファイル を作りました。  
被ばくと関係のない「自然発生」甲状腺乳頭がんは、10代では、男性の5倍以上女性 に発生します。(米国NCIのレポート) ところが、チェルノブイリ型では、2倍程度、医療被ばく型では1倍程度です。 福島の甲状腺がんは1.1~1.6倍ですので、これまでに発見された福島の甲状腺 がん(及び疑い例)は、性比から言うと、自然発生ではなく、チェルノブイリ型、医 療被ばく型に極めて近いのです。 もちろん、いろいろな留保は付けていますが、福島の放射線被ばくとの関係を慎重か つしっかりと監視してゆく必要があると思っています。             
 (強調はブログ運営者による)
 
以下でダウンロードできます。
 
PPT版
http://yahoo.jp/box/gWkAQe
PDF版
http://yahoo.jp/box/8tV1B3

松崎医師は、311直後から、重要な論考や翻訳を当ブログに寄稿しつづけてくれています。過去の関連投稿(14件)はこちらをクリックしてください


















Tuesday, March 25, 2014

ニューヨークタイムズ「アンネ・フランクからハロー・キティーまで」New York Times - From Anne Frank to Hello Kitty

 加藤典洋によるニューヨーク・タイムズの論評を翻訳して紹介する。彼によれば、歴史と正面から対峙することを避け無害化する姿勢はハロー・キティーに象徴され、日本人はアンネ・フランクまでも「かわいい」化して受容してきた。日本の右翼団体がナチスの象徴を多用するようになってきたことは、日本社会に噴出した矛盾に対してこの「かわいい」化がもはや効力を失ってしまったことの現れであると加藤は見る。

From Anne Frank to Hello Kitty
http://www.nytimes.com/2014/03/13/opinion/kato-from-anne-frank-to-hello-kitty.html

[前文・翻訳:酒井泰幸]

アンネ・フランクからハロー・キティーまで

2014年3月12日

加藤典洋

 2月の末に、公立図書館の職員が、何百冊もの『アンネの日記』が破損しているのを見つけて警察に通報した。破れた本の中で微笑むアンネ・フランクの引き裂かれた写真という、おぞましい映像が報道された。まだ犯人は特定されていないが[訳注:原文発表当時][1]、器物損壊の続発は、1月に超国家主義団体、在特会のメンバーが集会でナチスの旗を羽織って行進した頃から始まったように見える[2]。

 日本の右翼がナチスの象徴を引っぱり出すのは新しい現象である。冷戦の間、彼らは憎悪をソビエト連邦と共産主義に向けたが、最近では中国と韓国、そして次第にアメリカへと注目を移してきた。戦時中の日本同盟国の旗を打ち振るのは、右翼が日本の帝国主義的な過去を遠回しに賛美する方法である。おそらく、図書館でのアンネの日記の破損は同じ感情の表現だったのだろう。

 私の見るところでは、これはもっと広い何かの兆候でもある。過去の数十年にわたり、日本は戦時中の歴史に正面から向き合うことを避ける仕組みを作り上げてきた。そこでは、触れるには苦痛が大きすぎることがらを、純粋にきれいで、そして無害なものにすることによって和らげてきた。それはつまり、「かわいく」することだった。しかしこの方法はもはや機能しなくなっているように見える。

 「かわいい」という言葉は、小さいとか愛らしいという意味だが、1960年代まで保たれていた旧来の権威主義的な父親像が、当時の社会政治的風土の変化によって奪われてしまった1980年代に、「かわいい」は日本文化の特定の筋で中心的なものになった。何かを「かわいい」化するというのは、自分がその保護者になることで、対象を非敵対化し無力化する一つの方法だった。1988年に一つの有名な例があった。高校生の少女が死期の迫っていた天皇裕仁のことを「かわいい」とコメントし、天皇の戦争責任を不問にしたと伝えられた。ハロー・キティーは、耳にピンクのリボンをつけた白い猫で、日本の「かわいい」文化を究極まで具現化したものである。彼女には背景がなく、口がない。歴史の呪縛から抜け出し、歴史について語ることを止めたいという衝動を、彼女は体現している。

 私が数年前に発表した「グッバイ・ゴジラ、ハロー・キティー」[3]というエッセイの中で、ゴジラは日本の戦没者の象徴であり、忘却されつつあることへの怒りを吐き出すために帰ってきたのだと主張した。1954年に最初に作られたゴジラは恐ろしかった。ゴジラは海から現れて、1945年に東京を空襲に来たB-29とほとんど同じ経路をたどり、まだ戦災復興の途上にあった東京を破壊した。しかし50年で28本の続編が作られる間に、まずゴジラは多くの怪獣の中の一つに成り下がり、次に飼い慣らされ、おどけた親ばかの父親を演じた。つまり、ゴジラは「かわいい」化されたのだ。

 日本には、「かわいい」化されたアンネ・フランクもある。

 1月にイスラエルの新聞ハアレツは、日本でのアンネ・フランクの人気を調査した記事を掲載した[4]。その記事はフランス人ジャーナリストのアラン・リューコウィッツ(Alain Lewkowicz)氏へのインタビューをもとにしている。彼は「マンガの国のアンネ・フランク」[5]という対話型のiPadアプリの作者で、これは写真や対話がちりばめられたマンガ仕立てになっている。アンネ・フランクの物語は日本でいつも人気がある。しかし、彼女がホロコーストを公然と非難し、人種差別に反対する警告を発したと知られているにもかかわらず、日本でのアンネ・フランクは「第二次世界大戦の究極の犠牲者を象徴」していて、アンネと同じように日本人はアメリカによる広島と長崎への原爆投下の犠牲者だと多くの日本人が思っていると、リューコウィッツ氏は主張する。日本は犠牲者なのであって「けっして加害者ではない」のだと彼は言う。

 非常に多くの日本人、特に若い世代は、第二次大戦中に日本が行ったことについて驚くほど無知なので、日本人はこのヨーロッパのユダヤ人との「犠牲者の親戚関係」を共有できるのだとリューコウィッツ氏は示唆する。リューコウィッツ氏がハアレツ紙に書いたように、日本人は「自分の軍隊が同じ時代に朝鮮半島や中国で作り出した無数のアンネ・フランクたちのことは考えないのだ。」

 この主張には説得力があると私は思うが、ここにあるのはそれ以上のものだ。日本でのアンネ・フランクの受け止められ方は、戦争に端を発する未解決問題を「かわいい」化するもう一つの例である。ハアレツ紙の記事が指摘したように、アンネの日記は、本そのものの翻訳だけでなく、少なくとも4編のマンガ版と3本のアニメ映画を通して、日本での異常なほどの人気を獲得した。そこで語られる物語の少女は、どこから見てもハロー・キティーと同じくらいかわいいのだ。

 したがって、東京の図書館でアンネの日記が何百冊も破られた最近の事件は、日本のかわいさの文化が有効性の限界に達したことを示しているのかもしれない。

 第二次大戦での敗戦いらい日本の社会が抱え込んできた矛盾は、無視できないほど深くなった。日本のアメリカ依存が終わる見込みはなく、日本が直面する諸問題に対する合理的な政治決着はありそうもないことを人々がとうとう認識し、ニヒリズムの感覚が拡がりつつある。安倍晋三政権の反動的政策は、日本の民主主義が機能していないという感覚を強化してしまった。我々が目にしたくないもの全てが突如として目の前に立ち現れてきた。

 アンネの日記に対する醜い仕打ちについて何か前向きなことを言えるとすれば、日本社会が「かわいさ」に別れを告げて、アンネ・フランクとその数え切れない姉妹たちの真の歴史に「ハロー(こんにちは)」を言うように促すかもしれないということだろう。



加藤典洋は文学者で早稲田大学教授。この記事はマイケル・エメリックが日本語から英語に翻訳した[ものを、酒井泰幸が日本語に再翻訳した]。

(終)


訳者による参考リンク

[1] アンネは書いてないと主張=日記めぐり逮捕の男供述-書籍連続破損事件・警視庁
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201403/2014031400895&g=soc

[2] 過激な反中デモに非難殺到!デモ隊がナチス党旗を羽織り、「ジーク・ハイル」と叫ぶ!HP上に「ナチ党旗・ハーケンクロイツは認めます」との記載も!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1623.html

[3] Goodbye Godzilla, Hello Kitty - The American Interest 加藤典洋 2006年
http://www.the-american-interest.com/articles/2006/09/01/goodbye-godzilla-hello-kitty/

[4] 戦争被害者として共感?『アンネの日記』日本で人気の理由 イスラエル紙が分析
http://newsphere.jp/world-report/20140208-3/

[5] 「漫画の国のアンネ・フランク」~BDドキュメンタリーとは?~ 漫画、音声、映像、インタビューをコラージュして社会を描く
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201402270029414

Sunday, March 16, 2014

歴史は復讐する:ノーム・チョムスキーが語る、日本、中国、アメリカと、アジア紛争の脅威

 言語学者ノーム・チョムスキーが3月初めに講演のため来日した。彼は「沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明」の呼びかけ人の一人でもある。ここに紹介するのは来日に先立って行われたインタビューである。英字紙「ジャパン・タイムズ」に2月22日掲載されたものをインタビュアーのデイヴィッド・マクニール氏が加筆し、前文をつけて「アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス」に3月2日掲載されたものの和訳を紹介する。

The Revenge of History: Chomsky on Japan, China, the United States, and the Threat of Conflict in Asia
http://www.japanfocus.org/events/view/211

(翻訳:酒井泰幸)

ノーム・チョムスキーと、デイヴィッド・マクニールの息子

歴史は復讐する:ノーム・チョムスキーが語る、日本、中国、アメリカと、アジア紛争の脅威


ノーム・チョムスキー

デイヴィッド・マクニールとの対談

前文(デイヴィッド・マクニール)
 1930年代から40年代にかけて、政治的な立場のまだ定まっていなかった若き日のノーム・チョムスキーが大きく影響を受けたのは、世界恐慌と、世界戦争に向けて容赦なくゆっくりと滑り落ちていくように見える情勢であった。あらゆる側面で、好戦的愛国主義と、人種差別主義、残虐性が、堰を切ったようにあふれ出したことに彼は狼狽したが、住んでいたフィラデルフィアから見るかぎりでは、アメリカは日本人に対する敵意が特別の高みに達するのを差し控えていたように見えた。アメリカ政府が1945年の夏に広島への原爆投下をもって空襲による一般市民の大量殺戮に終止符を打ったとき、16歳だった彼は、彼の周りで繰り広げられる祝賀会に深い疎外感を覚え、その喧噪を離れて近くの森に歩み入り、ひとり喪に服した。「このことは誰にも話せませんでしたし、他の人たちの反応を決して理解することはできませんでした」と彼は語った。「私は完全な孤立を感じました。」 
 その後の20年間で、チョムスキーは輝かしい学問的業績をものにし、常識破りの学説をいくつも発表して言語学の研究を一変させた。ベトナム戦争の間に、彼は不承不承ながら別の顔を持つようになり、アメリカ外交政策の容赦ない批評家として、世界中に知られるようになった。以来、彼が知的生活のほとんどを費やしてきたのは、アメリカの「まやかしの自己像」と彼が呼ぶものや、幾重にも重ねられた自己弁護とプロパガンダを、剥ぎ取っていくことだった。それらは、アメリカが地球上いたる所で行う露骨な権力と利潤の追求に用いているものだと、彼は言う。チョムスキーは多くの主流派コメンテーターとは異なり、ベトナムの泥沼は単なる逸脱ではなく帝国拡大の避けられない結果だと見ていた。 
 連合国が戦後に東京とニュルンベルクで行った戦犯裁判の法律が、もしも公正に適用されたなら、「戦後アメリカの大統領は全員絞首刑だったはずだ」と、チョムスキーは彼の最も有名な宣言の一つで語った。この大統領免責の先例は彼の青年時代に作られた。東京への焼夷弾爆撃と、広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪なのだが、それはただ我々の戦争犯罪でなかったというだけなのだと、彼は指摘した。「戦争犯罪とは、こちら側が向こう側に対してはどんな時でも問えるが、向こう側がこちら側に対しては問えない罪のことである。」 
 今年85歳で、今も世界中で演説家として引く手あまたのチョムスキーが、先ごろ来日した。折しも、第二次大戦の歴史の亡霊が再び出現し、危険なまでに不安定になった日中関係を脅かしている。安倍晋三首相は、日本の戦後政治の枠組みの変革を推し進める意図を持っていることを示唆した。平和憲法を再解釈する試みは、日本の戦争犯罪の歴史についてのダブル・スピーク[印象操作のための婉曲語法]の乱発と歩調を合わせたもので、中韓その他のアジア諸国を憤慨させた。東アジアで再び戦争が起きるという、かつては考えられもしなかった可能性が、いま主流の議論の中に入ってきた。その可能性はまだ遠くにあるように見えるが、チョムスキーが東京へ出発する前に行われたこの対談で指摘するように、「歴史が教えているのは、恐ろしい破壊能力を持つ国家の場合は特に、火遊びは賢明な方針ではないということなのだ。」彼は別の道についても思いを巡らせる。衰退しつつあるとはいえ依然として危険なアメリカの軍事力に、べったりと依存することから脱却した、平和で繁栄するアジアの基礎となりうる、躍動する地域経済の発展である。


マクニール 日本とのつながりについて聞かせてください。

チョムスキー 私は1930年代に日本が満州国と中国ではたらいた凶悪な犯罪のことを読み、それ以来日本に興味を持ってきました。1940年代はじめに、10代の若者だった私は、人種差別主義的かつ好戦的愛国主義的な反日プロパガンダのヒステリー[病的興奮]に、すっかり顔色を失いました。ドイツ人は、邪悪だとはいえ、いくらかの敬意をもって扱われていました。彼らは何といっても金髪のアーリア人種で、我々の想像上の自己像と同じでした。日本人は単なる害虫で、蟻のように踏み潰されるべき者たちでした。日本の都市の焼夷弾爆撃についての報道から十分に認識できたことは、多くの意味で原子爆弾よりも悪質な、重大な戦争犯罪が進行中であるということでした。



マクニール 広島への原爆投下とそのアメリカ人の反応にあまりの衝撃を受けたため、その場を離れて独りで喪に服さなければならなかったという話を、私は以前お聞きしましたが…、

チョムスキー そうです。1945年8月6日に、広報スピーカーで広島への原爆投下が発表されたとき、私は子供の夏キャンプにいました。みんなはそれを聞きましたが、その後すぐに野球や水泳などの活動に戻っていきました。一言のコメントも無く。私は、その恐ろしい出来事とそれへの無反応の両方にショックを受け、ほとんど言葉を失いました。それで?ジャップがもっと焼け死んだのさ。アメリカだけが原爆を持っているから、それはいいぞ、僕たちは世界を支配できて、みんなが幸せになるんだ。

 私は強い嫌悪感を持ちつつも戦後処理を見続けていました。私が現在していることを、もちろん当時の私が予見することはできませんでしたが、愛国的なおとぎ話を打ち崩すのに十分な情報は得られました。私が初めて日本に旅したのは50年前のことで、妻子と一緒でした。個人的に「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の人々に会いはしましたが、純粋に言語学のための訪日でした。それ以来何度も日本に来ていますが、いつも言語学の研究が目的でした。世界が燃えさかっているときでさえ、会話やインタビューが言語学の関連分野だけに絞られているというのは、私が訪れた多くの国々の中で日本だけだという事実は、私にとって本当に衝撃的なのです。



マクニール あなたは今回、歴史的転換点となりうる時に来日されます。政府は、日本は国外の脅威に「もっと柔軟に」対応しなければならないと主張して、日本の60年にわたる平和主義的な姿勢に対し重大な挑戦を開始する準備をしています。中韓両国との関係は毒々しいものになり、戦争さえも話題に上るようになりました。私たちは憂慮すべきなのでしょうか?

チョムスキー 断じて憂慮すべきです。平和主義的な姿勢を捨てるのではなく、世界を鼓舞するモデルとして日本はそれを誇りに思うべきですし、率先して「戦争の惨害から将来の世代を救」うという国連の目標を支持するべきです。この地域が直面する困難は本物ですが、必要なのは政治的和解と平和的な関係の確立に向けたステップなのであって、そう遠くない昔に破滅的だと判明したような政策への回帰ではありません。



マクニール でも、具体的にはどのように政治的和解を達成できるのでしょうか?私たちがアジアで直面している状況は、国家主義がぶつかり合い、非民主的国家が台頭し、その軍事支出は不透明で、衰退しつつある大国との関係で今に何か起こるにちがいない。これが意味するものについてはますます恐ろしい。このような状況での歴史的前例は、良いものではありません。

チョムスキー ここに本当に重要な問題があるのですが、この質問は少し違う観点で整理すべきだと思います。中国の軍事支出はアメリカが注意深く監視しています。実際に増大していますが、アメリカの軍事費に比べればほんの僅かですし、アメリカ側には同盟諸国の軍事支出もあります(中国にはありません)。じっさい中国は、太平洋での対中封じ込めラインを突破しようと目論んでいます。それが中国の通商と太平洋への自由な出入りに欠かせない水域への中国の支配を制限しているからです。これが戦闘の火種となりうるのですが、その相手は自国の権益がからむ地域勢力もありますが、主としてアメリカです。もちろんアメリカは、自国に僅かでも匹敵し、さらに世界支配を主張するような国の存在を考慮に入れることは決してありません。

 アメリカは「衰退しつつある大国」で、衰退は1940年代後半から続いているですが、現在も覇権国として並ぶものはありません。アメリカの軍事支出は世界の他国を全部合わせたものに相当しますし、技術も遙かに進んでいます。何百もの軍事基地を世界中に張り巡らせ、世界で最も膨張的なテロ作戦を実行するなど、他の国なら夢見ることさえできないでしょう。オバマの無人機が行う暗殺作戦とはまさにそういうことなのです。そしてもちろんアメリカには、侵略と政権転覆を行ってきた残忍な歴史があります。

 これらが、政治的和解を模索するうえで本質的な条件とすべきものです。具体的には、中国の国益はこの地域の他国と同様に認知されるべきです。しかし覇権国の支配を受け入れることは正当化できません。



マクニール 日本の「平和主義」憲法の問題として認識されるものの一つは、それがあまりにも事実と一致していないということです。日本はアメリカの核の傘のもとで行動し、何十もの米軍基地と何万ものアメリカ兵を国内に擁しています。これは憲法9条の平和主義的な理想を実現したものと言えるでしょうか?

チョムスキー 日本の行動が正当で合憲な理想と矛盾するかぎり、行動を変えるべきです。理想を変えるのではありません。



マクニール 安倍晋三首相が二度目の首相の座へ返り咲いて以来の動きは追っていますか?彼を批判する人々は彼のことを超国家主義者と呼んでいます。支持者たちによれば、教育基本法と、1947年の平和主義憲法、日米安保条約という、アメリカの戦後占領の産物である時代遅れとなった日本の3つの憲章を、彼は時代に合うように更新しようとしているだけだと言うことになります。あなたはどうご覧になりますか?

チョムスキー 日本は、ラテン・アメリカなどの国々に続いてアメリカの支配を払拭し、世界でのより自立した役割を追求するほうが有意義です。しかし、安倍の超国家主義(私はこの言葉が正確だと思うのですが)とは実質的に反対の方法で自立を追求するべきです。特に平和主義憲法は、固守すべき占領の遺産です。



マクニール ナチス・ドイツと中国の台頭を比較して、どう思われますか?日本の国家主義者がこのような比較をするのをたびたび耳にしますが、最近フィリピン大統領ベニグノ・アキノも同様の発言をしました。中国の台頭は、しばしば日本が軍事力の自制を解くための理由として語られます。

チョムスキー 中国は台頭しつつある勢力で、「屈辱の世紀」を打ち捨てて地域・世界情勢に影響力を及ぼそうとしています。いつもながら、このような展開には負の側面や、時には脅威となる側面があるものです。しかしナチス・ドイツにたとえるのは馬鹿げたことです。2013年末に発表された国際世論調査で、どの国が「世界平和にとって最大の脅威であるか」という質問に対し、アメリカは他のどの国よりもずっと上位にランクされ、中国の4倍の得票でした。そのことに注目してはどうですか。この判断には確固たる理由があります。いくつかは先に述べました。それでも、アメリカをナチス・ドイツになぞらえるのは完全に馬鹿げたことでしょうし、なおのこと中国には該当しません。中国は、暴力や政権転覆などの介入に訴えることがずっと少ないのです。

 中国とナチス・ドイツの比較は全くヒステリー[病的興奮]です。アメリカが第二次世界大戦後にイギリスから世界の支配者という役割を引き継いで大幅に拡大して以来このかた、世界中で行ってきていることを、ほんの僅かでも日本の読者は知っているのだろうかと思います。



マクニール 中国・日本・韓国を中心に絡み合いアジア全体へと拡がる貿易の力学に基づいて、アジアの地域主義が出現する可能性を予見する人々もいます。このような取り組みがアメリカの覇権と国家主義の両方に打ち克つことができるとしたら、それはどのような条件の下でということになるでしょうか?

チョムスキー それは単に可能というだけでなく、もう存在しているのです。近年の中国の急成長は周辺の産業先進国からの高度な部品や設計といったハイテク支援に非常に大きく依存しています。そしてアジアの他の地域もまた、このシステムに結び付きつつあります。アメリカはこのシステムの重要な一部分で、西ヨーロッパもそうです。アメリカは、高度な技術を含む生産設備を中国に輸出し、最終製品を輸入します。どちらも膨大な規模です。中国での付加価値はまだ低いですが、それは中国が技術の段階を登るにつれて増加していくでしょう。適切に対処するなら、これらの展開は、深刻な紛争を避けたいのであれば必須となる、全般的な政治的和解に結びつくことでしょう。



マクニール 最近の尖閣諸島を巡る緊張で、中国と日本の間に軍事紛争の脅威が高まりました。論評者の多くは、その結果の膨大さと、2つの経済大国を結びつけている金融・貿易の深い繋がりを考えれば、まだ戦争にはなりそうもないと考えています。あなたはどのようにご覧になりますか?

チョムスキー 現在起こっている対立は極めて危険です。係争中の地域に中国が防空識別圏を宣言したこと、アメリカがこれを即座に侵犯したことも同様です。恐ろしい破壊能力を持つ国家の場合は特に、火遊びは賢明な方針ではないということを、歴史は確かに我々に教えてきました。小さな事件が急速にエスカレートし、経済的な繋がりなど圧倒してしまうかもしれません。



マクニール この全てにおいて、アメリカの役割は何でしょうか?アメリカ政府は中国との紛争に引き込まれたくないことは確かなように見えます。オバマ政権は、安倍の歴史観と、日本の歴史修正主義の要である靖国神社に彼が参拝したことに気を害しているとも聞いています。しかしアメリカを「信頼できる仲介者」と呼ぶことなど到底無理ですね…。

チョムスキー 無理です。アメリカが中国を軍事基地で包囲しているのであって、その逆ではありません。アメリカと中国が互いに相手の姿勢を自らの基本的権益に対する脅威と認識する状態を、アメリカの戦略分析家は、この地域の「古典的な安全保障のジレンマ」と表現しています。問題なのは米国が、自国直近のカリブ海やカリフォルニア沿岸の海域ではなく、遠く離れた中国沿岸海域までをも支配しようとしていることです。アメリカにとっては、世界支配が「核心的権益」なのです。

 鳩山首相がアメリカ政府に背いて沖縄住民の大多数の意思に従ったとき、彼がどうなったかを思い出してみてはどうでしょうか。ニューヨーク・タイムズが報じたように、「鳩山由紀夫首相は日曜日[2010年5月23日]に、憤慨する沖縄住民を前に、主要な選挙公約を果たせなかったことを謝罪して、アメリカと当初合意していたとおり米空軍基地の沖縄本島北部への移設を決定したことを告げた。」彼の「降伏」は(これは適切な表現なのですが)、アメリカからの強い圧力の結果でした。



マクニール 中国はいま、日本や、南シナ海のフィリピン、ベトナムとの領土紛争に巻き込まれ、係争中の国境線上に防空識別圏も設定しています。これら全てのケースで、アメリカは直接間接に関与しています。これらは、中国の拡張主義の事例として理解すべきなのでしょうか?

チョムスキー 中国は地域影響力を拡大しようと目論んでいますが、これは世界の覇権国と認められたい従来からのアメリカの要求と矛盾し、地域勢力の権益とも矛盾します。「中国の拡張主義」という表現は正確ですが、圧倒的なアメリカの世界支配に照らし合わせれば、むしろ誤解を招くものです。

 第二次世界大戦後初期を思い出してみると役に立ちます。アメリカの世界統治計画では、アジアはアメリカの支配下にあるのが当然と見なしていました。中国の独立はこのような意図に対する深刻な打撃でした。これを、アメリカの議論では「中国の喪失」と呼びます。「中国の喪失」は誰の責任かという問題は、マッカーシズムの台頭を始めとする主要な国内問題になりました。この用語自体が隠れた意味を物語っています。私は自分の財布を喪失する(失う)ことはできますが、私があなたの財布を喪失することはできません。アメリカの議論が暗黙の前提にしていたのは、中国は正当なアメリカの所有物だということです。この覇権的概念と醜い歴史に相応の注意を払わずに「拡張主義」という言葉を使うことには用心すべきです。



マクニール 沖縄について、辺野古に新たな米軍基地の建設を進める本土政府と、先月圧倒的多数で基地に反対する市長を再選した沖縄住民との間に、大きな衝突が起きる舞台は整ったように見えます。これがどのように展開するか、何かお考えはありますでしょうか?

チョムスキー 米軍基地の受け入れは沖縄県民が圧倒的多数で反対していますが、これを強制する安倍政権の嘆かわしい努力を拒絶した、名護市民と稲嶺進市長の勇気には、感服するほかありません。そして本土政府が即座に名護の民主的決断を踏みにじったことは、これまでの圧力にも増して、恥ずべきことです。その展開がどうなるか、私には予測することができません。しかしそれは、民主主義の運命と平和の将来に重大な影響を与えるでしょう。



マクニール 安倍政権は、原発を再活性化し停止中の日本の原子炉を再稼働しようとしています。支持者たちは、原子炉を休ませておけばエネルギー・コストと化石燃料使用量の大幅増加という代償を払うことになると言います。反対者たちは危険が大きすぎると主張します…。

チョムスキー 原子力全般の問題は単純ではありません。いまだ終息とは程遠い福島原発事故の後、原子力がどれほど危険かを強調する必要はほとんどありません。化石燃料の使用を続ければ遠くない将来に全地球的な大災害となる恐れがあります。賢明な道は、現在ドイツが行っているように、持続可能なエネルギー源にできるだけ早く移行することです。他の道はどれも想像すらできないほど破滅的です。



マクニール 原子力が地球を過熱から救う唯一の道だと主張するジェームズ・ラブロックやジョージ・モンビオなど熱心な環境保護論者の著作はご存じだと思います。短期的には、そのような分析はある程度当てはまるように見えます。日本の原発災害の直接的影響の一つは、石炭、天然ガス、石油の輸入が大幅に増加したことです。短期間で十分な再生可能エネルギー源を作って気候変動の暴走を食い止めることなど、我々には不可能なのだと彼らは主張します。

チョムスキー 確かに、このような見方にもいくらかの利点はあります。より正確に言えば、核廃棄物処分のような、極度の危険と未解決の問題の数々をともなう原発に、限定的に短期間依存しなければいけないことが、持続可能エネルギーを迅速かつ大規模に開発するきっかけになるのなら、このような考え方にある程度の利点はあるかもしれません。このような持続可能エネルギー開発こそ、最優先にすべきで、非常に急を要します。破局的な環境破壊という重大な脅威は遠い未来のことではないからです。


(この文章は、2014年 2月22日のジャパン・タイムズに掲載された記事を加筆したものである。)


ノーム・チョムスキー教授の講演会は2014年3月5日、6日に上智大学で開催された。
“The Architecture of Language Reconsidered”「言語の構成原理再考」
“Capitalist Democracy and the Prospects for Survival”「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
この講演会のビデオは、上智大学Open Course Wareにて公開されている。
http://ocw.cc.sophia.ac.jp/140305linstic

Wednesday, March 12, 2014

Please don’t destroy this pristine nature of Henoko 辺野古の手つかずの自然を壊さないでください。

These photos were taken by Yoshio SHIMOJI, on the day of the spring tide, in April 2007. To protect this ocean, sign the petition: http://chn.ge/1ecQPUJ 

2007年4月の大潮の日に下地良男さんが撮った写真です。辺野古の海を守るための署名は⇒http://chn.ge/1glVJSw






Friday, March 07, 2014

原子力規制委「帰還に向けた考え方」にある4つの重大な問題点: 反核医師会より抗議声明

昨年11月20日に発表された原子力規制委員会による「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」に対し、反核医師の会」(1987年設立)が、12月18日に抗議声明を出した。プレス資料をマスコミ各社に送ったようだが一切報道されなかったそうである。以下紹介する。

このブログで先日紹介した、日本科学者会議の汚染水・除染についての深刻な提言も全国メディアにはおしなべて無視されたようだ。科学者団体による提言は、汚染や被爆の度合いを少なく見せ、原発を引き続き推進したい人々にとっての大きな脅威であることがうかがい知れる。科学者会議は環境の被曝、反核医師会は人体の被曝を扱った警告で二者の声明は補完的なものと言えるであろう。

この声明の英語版も2月28日に発表された。リンクはここ。
http://no-nukes.doc-net.or.jp/activity/seimei/140304kisei-i.pdf 

拡散してください。@PeacePhilosophy


原子力規制委員会への抗議声明
「帰還に向けた考え方」にある4つの重大な問題点


20131218
核戦争に反対する医師の会(反核医師の会・英文略称"PANW"
(東京都渋谷区代々木2-5-5 全国保険医団体連合会内
                               
                                
20131120日、原子力規制委員会から、福島第一原発事故による汚染地域への「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方(線量水準に応じた防護措置の具体化のために)」(以下、『考え方』と略)が発表された。
我々「核戦争に反対する医師の会」は、核兵器の廃絶を望み被ばく者を支援してきた医師・医学者の団体として、原発事故後の地域住民の生活や健康維持について、これまでも重大な関心を持ってきた。我々は、今回の『考え方』には放射線防護の点から、また住民主権という人権の観点からも大きな問題点があり、断じて認めるわけにはいかないとの結論に至ったので、ここに抗議声明を発表するものである。

1100ミリシーベルト以下の被ばくでも健康被害の可能性を認めるのが、
現在の国際的動向である
今回の規制委員会の『考え方』の基本にある医学的認識は、低線量被ばくの評価に関する最近の国際的理解からは、明らかな誤謬を犯しており、医師・医学者としてとうてい容認できるものではない。100ミリシーベルト以下の被ばくでは「疫学的に健康リスクの増加を証明するのは困難とするのが国際的合意」と、事故以来繰り返されてきた見解は、最近発表された複数の大規模疫学調査により大きく修正を迫られている1),2)10万人以上を対象とした大規模な疫学調査では、100ミリシーベルト以下でも「明らかな線量依存性の健康リスクの増加」が認められ、過剰な放射線被ばくは「少なければ少ない程よい」という原則を再確認することとなった。
今年3月に福島事故と関連してWHOが発表した報告でも、「福島県外も含む広い範囲の住民で、生涯の発がんリスク増加の可能性を否定できない」とされたのは、低線量被ばくと健康リスクに関する国際的動向に配慮したものと思われる3)。しかし、今回、原子力規制委員会が出した「考え方」は、このような国際的動向に全く注意を払っておらず、繰り返し表明してきた「100ミリシーベルト以下は安全」とする恣意的な認識に拘泥し続けている。
我々は、『考え方』が基本にする“100ミリシーベルト以下安全”論に、強く抗議する。

2ICRPの勧告でも、積極的な住民参加による意思決定や健康管理の充実を強調している
今回の原発事故に伴う住民避難の基準は、ICRPによる2007年と2009年の一般勧告、及び2011年に福島事故後に出された文書によるところが大きい4)-6)。その中で事故収束後に汚染が残る地域での居住を選択した場合「1~20ミリシーベルトに抑えるべき」とされており、長期間にわたる可能性があるならば、「その幅の中でも可能な限り低い基準を設定し、線量低減のための最大限の努力の継続が前提」と明記されている。このように年間20ミリシーベルトは「緊急対応時の一時的指標」でしかなく、「帰還可能な汚染水準として示されてきたものではない」。
さらに、比較的線量が高い地域での居住では、「地域住民の健康管理体制の充実が不可欠」で、方針決定への住民参加とともに最終的には各個人の決断が重要であることも強調されている。福島事故後に政府や関係諸機関がとった実際の対応は、人権保護の観点からも厳しい国際的批判にさらされている。201210月に日本で行った調査にもとづく「国連人権理事会からの特別報告」(以下「グローバー報告」)は、原発に関する情報が国民に共有されない制度の不備と、事故後の政策決定への住民参加の不足について警鐘を鳴らし、社会的弱者も積極的に参加できるシステムの整備を求めている7)
今後、地域住民の間で低線量被ばくに関する情報を共有し、帰還の条件についても住民が議論に積極的に参加できる場が形成され、的確に政策決定に反映されるシステムが確保されねばならない。今回の『考え方』では、住民参加の保障が全く不十分である。
我々は、ICRP勧告よりも大きく後退した“年間20ミリシーベルト迄を帰還可能水準”と緩和する『考え方』に強く抗議する。

3,個人線量計による計測結果を重視することで、被ばくに対する個人責任や新たな社会的問題を生み出す危険がある
今回の『考え方』では、空間線量から予測される被ばく線量ではなく、個人線量計を用いた各々の計測結果を、個人の生活設計や管理にも用いるという考え方が示された。線量計による被ばく管理は、仕事上やむをえない被ばくで利得を得る労働者や放射線取扱者にとっては、必須の要件である。しかしながら、個人線量計の測定が被ばくの実態を調査する一手段ではあっても、過剰な被ばくが利得どころかリスク増加にしかならない地域住民にとって、被ばくの多寡が個人責任に転嫁される恐れもある。
また、ガラスバッジ等の個人線量計による計測では、α線やβ線による内部被ばくは計測されず、γ線についても、計測は線量計の前方からの線量が中心で、その使われ方によっては被ばく量が過小評価されかねない結果に陥る恐れが多分にある。
さらに個人に被ばく管理を押し付ける線量計の利用は「被ばくした個人」を特定することにもなり、人権を守る上で新たな社会的影響をもたらしかねない。特に屋外活動による被ばくを避けたい小児や妊婦にとってその行動を必要以上に制約することにつながりかねず、新たな風評被害や社会的差別を防ぐ面からも、住民全体に適用するにはあまりにも問題点が多い方法と考える。個人線量計による計測結果は、その人個人のデーターであり、決して帰還基準などに使用すべきでない。住み続ける地域環境の規定である規準汚染度は、その地域の汚染度を客観的に表す「空間線量」(ICRP基準)や「土壌汚染」(ウクライナ基準)を使用した基準値でなければならない。
我々は、『考え方』の“個人線量計による計測結果を重視する”基準値設定に強く抗議する。

4,健康相談員による相談だけでは、住民に安全・安心の健康管理は不可能である
さらに、帰還の前提条件としては、住民の健康管理体制の整備が不可欠だが、今回の『考え方』では、健康相談員の活動と支援する拠点の整備があげられているだけで、公的な健診体制の整備や拡充、及び診療体制の充実についての具体的な記述が欠落している。前段3にあげた「グローバー報告」では、1ミリシーベルト以上の年間過剰被ばくが推定される地域全体で、「無料の健康診断や医療サービスの提供」が勧告されている7)にも拘わらず、それを全く無視したものとなっている。ちなみに、今年36日の原子力規制委員会からの提言では、1999年の茨城県那珂郡東海村のJCO臨界事故後に行われている健康管理(事故により1ミリシーベルト以上の過剰被ばくが疑われる住民に対する無料の健診)について記載されていたにもかかわらず、今回の『考え方』ではそれが削除されており、意図的な変更を疑わざるを得ない内容となっている8),9)
我々は、住民の健康管理を、JCO事故後の健康管理体制から大きく後退させ、“健康相談員による相談だけに限定”する『考え方』に、強く抗議する。

以上のように、今回の『考え方』は、低線量被ばくに関する最近の医学的知見や国際的動向を無視するばかりか、一部では、同委員会より36日に出された「東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連する健康管理のあり方について(提言)」より後退した内容となっており、加害企業や公的機関の責任を曖昧にしたものになってしまっている。また、事故の規模の違いと、費用負担の増大を心配してJCO事故後の対応等の健康管理体制からの後退を、福島に押し付けようとしているとすれは、けっして許されるものではない。この意図的な二重基準を許してしまえば、JCO事故後の健康管理体制をも後退させる危険性をも指摘せざるを得ないだろう。
我々は、国民の健康管理に携わる医師・医学者の団体として、今回出された『考え方』の内容と方向性について強く抗議するものである。そして、医学的知見や国際的動向が、理解されやすく整理して呈示され、各家庭や個人が自律した意思決定を行えることは、住民主体に政策決定する民主主義の根幹であることを再度強調して、以下の項目を提案し、必ずや実行に移されるべきであると要求する。

1 “100ミリシーベルト以下安全”論を撤回し、低線量被ばくの健康影響についての最新の知見、国際的動向を重視し、その情報についても住民に隠さず伝えること。
2 “年間20ミリシーベルト迄を帰還可能水準”と許容する提示は撤回し、帰還できる条件について住民との間で十分な情報提供による協議の場を設け、政策決定に反映させること。
3 “個人線量計による計測結果を重視する”基準値設定と被ばく管理の住民押し付けをやめること。
4 1ミリシーベルト以上の過剰被ばくが疑われる地域の住民に、無料の健康診断サービスを、国と東電の責任で提供し、医療体制の充実を図ること。

  以上、要求するものである。



参考  
1)      Radiation exposure from CT scans in childhood and subsequent risk of leukaemia and brain tumours: a retrospective cohort study.
Pearce MS et al, Lancet. 2012, 380(9840):499-505.
2)      Cancer risk in 680,000 people exposed to computed tomography scans in childhood or adolescence: data linkage study of 11 million Australians.  
Mathews JD et al, British Medical Journal. 2013, 346: f2360.
3)      Health risk assessment from the nuclear accident after the 2011 Great East Japan earthquake and tsunami, based on a preliminary dose estimation, WHO, 2013.
4)  Fukushima Nuclear Power Plant Accident, ICRPref:4847-5603-4313 ICRP, 2011. http://www.u-tokyo-rad.jp/data/fukueng.pdf
5) Application of the Commission's Recommendations for the Protection of People in Emergency Exposure Situations. ICRP Publication 109, Ann ICRP 39 (1). ICRP, 2009.
6)  Application of the Commission's Recommendations to the Protection of People Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation Emergency. ICRP  Publication 111, Ann ICRP 39 (3). ICRP, 2009.
7)  Report of the Special Rapporteur on the Right of Everyone to the Enjoyment of the Highest Attainable Standard of Physical and Mental Health, Mission to Japan ( 15-26 November 2012 ), Anand Grover  Human Rights Council,
    23rd session, 41/Add.3   United  Nations,  General Assembly.  2013.
  8) 東海村JCO ウラン加工工場臨界事故を振り返る-周辺住民の健康
管理の在り方を中心に- 文教科学委員会調査室 柳沼充彦
立法と調査(参議院調査室作成資料)338:131-144,  2013 
backnumber/2013pdf/20130308131.pdf
 9) 東京電力福島第1原子力発電所の事故に関連する健康管理のあり方
について(提言) 平成253月6日 原子力規制委員会



Tuesday, March 04, 2014

ニューヨークタイムズ社説: 安倍氏の危険な修正主義(和訳) Japanese Translation of New York Times Editorial "Mr. Abe's Dangerous Revisionism"

Abe Shinzo's "Fukushima under control" speech at
the Olympic bid. 
安倍政権就任直後、2013年初頭に当ブログに掲載した成澤宗男氏の論文「安倍晋三と極右歴史修正主義者は、世界の敵であるは、英語中国語韓国語に訳して世界拡散しましたが、世界の危機意識が最近やっと追いついてきているという印象を受けます。

3月2日のニューヨークタイムズの論説(紙面には3月3日掲載)の和訳を紹介します。(訳文はより正確を期すため掲載後微修正することがあります)

原文は:
Mr. Abe's Dangerous Revisionism
http://www.nytimes.com/2014/03/03/opinion/mr-abes-dangerous-revisionism.html?_r=0


安倍氏の危険な修正主義

論説委員会

2014年3月2日

安倍晋三首相の売り物となっている国粋主義は、日本の米国との関係に対する、かつてないほどの深刻な脅威となっている。彼による修正主義的歴史の使用は、すでに東シナ海、南シナ海の領土問題における中国の挑戦的なスタンスであつれきが生じている地域における、危険な挑発行為である。

しかし安倍氏は、この現実、そして条約の義務により日本を防衛するとコミットしており、中国と日本の間の紛争に引きずり込まれたくないという米国の国益を、気にも留めていないようである。

安倍氏の国粋主義は、理解に苦しむ。特定の国に向けられたものではなく、安倍氏が恥と感じている第二次世界大戦以来の自国の歴史に対して向けられている。彼が呼ぶところの、控え目であり続けた戦後レジームから脱却し、新たな愛国主義を再創造しようというのだ。

しかし安倍氏は日本の戦後文化を語る前に、戦争の歴史も歪曲している。彼と他の国粋主義者たちは1937年の日本軍による南京大虐殺がなかったといまだに主張している。先週の金曜、彼の政権は、日本軍によって性的奴隷状態を強制された朝鮮半島の女性たちへの謝罪を再検証し、場合によっては取り消す計画を語った。さらに安倍氏は、有罪判決を受けた戦争犯罪人たちを含む日本の戦死者に名誉を与える靖国神社を訪問することは、国のために命を犠牲にした人々に敬意を払うことに過ぎないと主張している。

今この時点における中国との敵対的な関係は、安倍氏にとって、平和主義に徹している人々に、防衛準備態勢を高める必要性を説得するのに役立っている。軍備態勢の強化を支持する人たちと歴史修正主義者が一致する傾向にあるのは、日本の特異性のように思える。安倍氏の国粋主義を別にしても、安倍氏も他の日本の主流派の指導者たちも、米国の同意なしでの軍事力の拡大をしようとはしていない。彼らは日米の安全保障同盟に深くコミットしているのだから。

(終)

参考:当ブログにおけるニューヨークタイムズ関連社説・記事翻訳:

2013年1月2日社説: 
歴史を否定するさらなる試み

2013年4月24日社説:
日本の無用な国家主義

2013年10月29日社説:
自由主義とはいえない日本の秘密法案

2013年12月18日社説:
日本の危険な時代錯誤ぶり

2013年12月28日記事:
教科書闘争で、歴史の書き換えを狙う日本の指導者たち

2014年2月19日社説:
戦争と平和と法
(憲法を意のままに変えようとする安倍首相批判)

これらのリストはこのブログで訳を紹介したものという意味で、安倍政権の歴史認識を問題視した記事はもっとあります。

ワシントンポストで当ブログで訳したものは、

2013年4月27日社説:
歴史に向き合えない安倍晋三



Monday, March 03, 2014

【日本語字幕版】ドイツ放送局ZDFによるフクシマ3周年のドキュメンタリー番組はますます深刻化する原発事故の実態を浮き彫りにする Japanese subtitled version of ZDF documentary on Fukushima Nuclear Catastrophe

ドイツ在住ジャーナリスト、梶村太一郎さんのブログ「明日うらしま」より、許可を得て一部転載。
http://tkajimura.blogspot.ca/2014/02/zdf.html
 昨晩(2月26日)、ドイツ公共第2テレビ放送ZDFが、フクシマの現状を29分のドキュメントで伝えました。 現在の双葉町 現場で当事者たちとのインタヴューで、安倍首相の「フクシマはアンダーコントロール」であるというオリンピック招致の際の発言が、大嘘であることを実証した力作のレポートです。   

登場人物は、双葉町で墓参りをする井戸川元町長からはじまり、小出裕章京大助教授の「フクシマはこれまででもチェルノブイリ事故での同量の核物質が放出されており、現在も放出され続けており『out of control』である」との見解、また事故直後の地下水遮断計画が、どのように阻止されたかも菅直人元首相と馬淵氏の証言でレポート。さらに阿武隈川が流域の山系のセシウムなどを集めて、河口沖では、驚くべき海洋汚染が続いているが全く無視されていることを京都大学の研究者の現場でのモニタリングで伝えています。 阿武隈川河口沖で取材するヨハネス・ハーノ記者 また除染作業がホームレスの人たちを使うヤクザの食い物になっていることを、仙台の今井牧師と被害者の匿名証言で報道。 泉田裕彦新潟県知事の「今、新しい『原発安全神話』を作ろうとしている」との見方も伝えられています。

井戸川元町長の「日本政府の非人間性への激しい怒り」を共有するジャーナリストチームの優れた仕事です。

これがZDF番組の日本語字幕版 YouTube です。見て拡散してください。


日本のTV局も311の3周年に向けこのような批判的番組を作っていることを期待します。@PeacePhilosophy 



Saturday, March 01, 2014

【全国メディアには無視されているよう】日本科学者会議の汚染水と除染についての深刻な緊急提言

日本科学者会議」が、汚染水問題と除染問題について大変重要な緊急提言を2月11日に発表し、2月27日に記者会見を開いた。

日本科学者会議記者会見(2月27日、福島県庁にて)


提言は日本科学者会議のウェブサイトに全文がアップされているのでぜひ見てほしい。

「原発汚染水問題」にかかわる緊急提言

「除染」にかかわる提言

河北新報《2月28日)は、「『汚染水の調査不十分』科学者会議緊急提言」という見出しで、日本科学者会議は、東電による地質や地盤、地下水の調査は「不十分」であり、「ボーリング調査の範囲を敷地内の空白域と敷地外に拡大するよう」求めていると報道した。汚染水問題プロジェクトチームの代表、柴崎直明福島大教授は「現状を放置すれば、今後も汚染水が海や敷地外に流出する危険がある」と警告し、「敷地外にも汚染地下水が流出している可能性がある」とのことである。大変深刻な内容だ。

提言はこのような結論で終わっている。
これまで東電は汚染水問題について,重大な問題が発覚してから応急的で不十分な対策しかとってこなかった。このままの状況では,今後も汚染水タンクからの漏洩や汚染された地下水が港湾外の海や敷地外の陸地に流出する危険があるので,国や東電はこの緊急提言で指摘した事項を最短の工程で実施することを強く求めるものである。
しかし全国メディアがどれほど報道したのか、ざっと検索した限りでは出てこない。隠蔽への圧力がかかっているのか。福島第一原発事故直後の2011年3月30日、日本の原発を推進した当事者の科学者たちが反省と危機感をこめて緊急提言を発表しているがほとんどのメディアは無視して、当ブログが転載したものが6万以上のアクセスを集めた。当時と同様のことが起っているのか。

除染問題についての提言も大変厳しい内容だ。一部を抜粋する。
福島県では2012年夏以降、各自治体で除染計画を策定し、大手ゼネコンに代表される主体が除染作業を進めている。しかしながら除染の実行力を担保する法令、ならびに実施体制が体系化されておらず、その結果様々な弊害が生じる。

第一は、何を持って除染とみなすのか(定義)、いかにして除染をするのか(方法)、除染の効果をどのように検証するのか(評価)、その統一的基準がない点である。それ故、不適切かつ不完全な除染が横行し、地域により除染効果に差が出ている。

第二は、除染計画を策定する際に不可欠な実態把握(放射能計測とマップ化)が不十分な点である。放射性物質の分布マップがあれば汚染や環境に即した然るべき除染方法が選択でき、除染を優先すべきエリアが検討できる。必要かつ十分な除染の見極めることで過剰な資本や労働力の低減、仮置き場や中間貯蔵施設の負荷低減を検討することも必要である。特に労働資本の投入は除染作業者の外部被曝の低減に直結する問題であり、除染作業者の人権問題として認識する必要がある。

第三は、除染の実施主体は各自治体であることから、市町村域を超えた合理的な計画策定や、専門的対応や判断が困難な事である。本来、除染は国の責任でやるべきものであり、人的資源も専門性も限られ、被災地対応に追われる地方自治体の事業範囲を超えている。それこそ復興庁などの国家レベルの機関が指導力を発揮しなければならない。

最後に「除染」は、それ自体が「目的」ではなく、あくまで生活再建に向けた「手段」である点、ならびに「除染」は放射性物質という物理的実体に即して科学的見地からの対応が求められる一方、極めて社会的・政治的な問題であることを強調しておきたい。たとえばガラスバッジによる個人被曝の積算線量は、空間線量から見積もられた値に比べて、平均値で3割ほどの外部被曝に止まることが明らかにされている。こうした科学的知見は、除染の優先度や対象エリアを検討するデータとされ除染エリアや避難エリアの縮小を支持するデータとなる可能性もある。だが依然として高い外部被曝が強いられる地域や個人も少なくなく、合理的な除染策の検討というものが、被災者の福祉や健康、ならびに基本的人権を侵すものであってはならない。除染の是非は科学的合理性のみならず、社会的道義性の観点からも十分に議論される必要があり、二つの観点からの議論の先にしか被災者の健康と生活の安寧は得られない。そして除染の計画や実施をもって、個人が故郷から避難する権利を奪ってはならないこと、また移住や避難をした人々にとっても、放射能汚染からの故郷の再生は悲願であることから、「除染」と「移住」は二者択一の選択とはならない。真に目指すべきは被災者の生活再建であり、除染はあくまで手段であって、除染の実施が被災者救済の最終目標ではないことも強調しておきたい。
(抜粋以上)

NHKの福島局による放送はすでにリンク切れしているが、ここにアップされている。ほとんどの時間は除染問題、それも「汚染状況を把握し効果的な除染を」という語調、汚染水問題については最後に触れる程度で、「ボーリング調査の徹底などを求める」と、これらの提言が提起する問題の深刻度や国や東電への痛烈な批判が全然伝わらない報道になっている。昨年の9月からプロジェクトチームを組み日本中の科学者の英知を結集して作った提言のようだが、このような報道、そして何よりもこの提言を無視する報道機関は、被災者の立場から原発事故に真剣に取り組む科学者たちの努力を踏みにじったと言えないか。これはやはり「汚染水は完全にコントロール」と世界に大嘘をついた安倍政権への遠慮なのだろうか。

もう一度、今回の提言のリンクを記しておく。

「原発汚染水問題」にかかわる緊急提言

「除染」にかかわる提言

@PeacePhilosophy

Friday, February 28, 2014

原爆投下は米国の戦争犯罪および日本の戦争責任の隠蔽に使われた-広島の8つの平和団体からのオバマ大統領への手紙

この手紙の英語版は、英字紙 The Japan Times に2月5日に掲載されました。オバマ大統領に広島に来ることを求めながら、ただ来るのではなく、原爆投下の犯罪性を求め、謝罪するという勇気ある行為を求めています。@PeacePhilosophy

U.S. and Japanese apologies for war crimes could pave way for nuclear disarmament


アメリカ合衆国大統領
バラク・オバマ様

拝啓
 突然お手紙を差し上げます失礼を、なにとぞご海容のほどお願い申しあげます。

 この手紙は、広島市を中心に活動する8つの団体 -「第九条の会ヒロシマ」、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」、「ピースリンク広島・呉・岩国」、「東北アジア情報センター」、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」、「8.6ヒロシマ平和へのつどい実行委員会」、「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」、「広島YWCA (順不同) - の共同の請願書として大統領閣下に提出させていただきます。なお、これらの8団体は、いずれもいかなる政党や政治団体にも属さない、市民の草の根活動の組織であることをご承知ください。

 昨年1210日、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が長崎を訪問され、原爆資料館や平和公園を見学されただけではなく、被爆者とも懇談された後、「可能な限り被爆者の活動を支援していきたい」、「オバマ大統領も核軍縮の目的に尽力しています」と述べられたとメディアは伝えております。私たちも大統領のご尽力には注目しております。さらに1216日には松井広島市長と田上長崎市長がそろって同大使を訪れ、20148月の広島・長崎での原爆投下記念式典に大統領と大使の御両名が出席されるように、との要請を口頭で行いました。これに続き1226日、両市長は、大統領へ書面で同じ要請をアメリカ大使館に提出したと報道されています。

 私たち広島市民も、オバマ大統領とケネディ駐日大使が両都市での記念式典に参加されることを強く願ってやみません。しかし、御両名の広島・長崎訪問にあたっては、19458月のアメリカによる原爆投下が明らかに市民への無差別大量虐殺という「人道に対する罪」であったことを率直に認められ、その被害者に対する謝罪を大統領にしていただくことを強く要望いたします。なぜなら、原爆投下に対する米国の謝罪が、核兵器廃絶を達成するためには不可欠であると私たちは確信するからです。

 その理由については、少し長くなりますが、関連の歴史を顧みることで詳しくご説明させていただくことをお許しください。

 194586日、広島への原爆攻撃の16時間後、トルーマン大統領はアメリカ国民向け声明ラジオ放送で次のように述べました。

世界は、最初の原爆が軍事基地である広島に投下されたことに注目するであろう。それは、われわれがこの最初の攻撃において、民間人の殺戮をできるだけ避けたかったからである。もし日本が降伏しないならば、……不幸にして、多数の民間人の生命が失われるであろう。原爆を獲得したので、われわれはそれを使用した。われわれは、真珠湾において無警告でわれわれを攻撃した者たち、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打し、処刑した者たちに対して、戦争の国際法に従うすべての虚飾をもかなぐり捨てたものたちに対して、原子爆弾を使用した。(強調:引用者)

ここでトルーマン大統領は、原爆によって一瞬にして推定7万から8万人の市民を無差別殺戮した犯罪行為を、「民間人殺戮をできるだけ避けるため」というあまりにも皮肉な口実で、正当化しています。ご存知のように、米国では、この原爆攻撃正当化論が戦後ますます誇張され、原爆が使われていなければ戦争は終結していなかったかのような神話が作り上げられ、その神話が今も大多数の米国民の意識の中に深く根をおろしています。原爆攻撃のもう一つの理由として、日本軍が犯したさまざまな戦争犯罪に対する報復攻撃であったことをトルーマン大統領は説明したわけです。もちろん、日本軍が様々な戦争犯罪を犯したことは事実ですが、自分が命令した原爆投下自体も、人類史上最も残虐な戦争犯罪の一つであるという自覚が、ここでは完全に欠落しています。敵が戦争犯罪を犯したから自分たちも報復措置として戦争犯罪を犯すことが許される、ということがあってはなりません。

 アメリカ政府はアジア太平洋戦争終結以来ずっと上記のような正当化を主張し続けています。しかしながら、広島・長崎への原爆投下が戦争終結のための決定的要因でなかったという歴史的事実は、様々な研究者によってすでに証明されています。アメリカ政府のこうした主張は原爆投下正当化のために作られた神話であり、日本政府もまた、後述いたしますように、自己目的のためにこの正当化論を暗黙のうちに支持しているわけです。しかし、米国政府が主張し続けている「戦争を終わらせるために原爆投下は必要であった」という、事実とは全く異なる見解=言い訳がたとえ正しかったとしても、原爆投下による「無差別大量虐殺」という「犯罪性」そのものが否定されるわけでは決してないことを私たちは明確に確認しておく必要があります。原爆投下の是非をめぐる議論は、いつも、それが必要であったかなかったかといった「歴史的状況判断論」にばかり集中する傾向がありますが、そのことによって原爆投下に関する議論の本質であるべき「犯罪性」の問題が実はぼやかされてしまうということも私たちは同時に強く注意しておくべきです。つまり、「状況判断論」で、「犯罪性」の問題がごまかされないようにしなくてはなりません。

 日本は15年にわたってアジアで侵略戦争をおこない、敗戦が誰の目にも明らかになった段階でも降伏することを拒否し続けました。したがって、日本政府にもまた、とくにその国家元首であった昭和天皇には、米国同様に、広島・長崎原爆投下によって多くの人たちが殺傷されたことに対する法的・倫理的責任があると私たちは考えます。当時、日本の植民地であった朝鮮、台湾、それに日本軍に占領されていた中国や東南アジアから広島・長崎に強制労働のために連れてこられた多くの人たちの中からも数多くの犠牲者が出ました。日本政府は、明らかに、これらの人たちに、法的責任がなかったとしても倫理的責任はあるはずです。

 日本政府は、長崎原爆投下直後の194589日、米国に対する抗議文を、スイス政府を通じて外務大臣東郷茂徳の名において送りました。この抗議文の中で日本政府は以下のように述べました。
聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時 国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書,陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり.
抗議文はさらに,米国を以下のように厳しく非難しています。
米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来 かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。
この抗議文の起案者が国際法を熟知していたであろうことは疑いありません。広島・長崎への原爆攻撃のみならず、他の都市への空襲も、国際法(ハーグ条約)違法であるという鋭く厳しい無差別大量殺戮糾弾となっています。しかし、これが、日本政府が原爆投下に関して出した最初で最後の抗議文でした。

 1945815日、終戦の詔勅にて天皇裕仁は次のように述べました。
    
    敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来ス ルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政 府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ……
    朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス


つまり、原爆という恐るべき残虐な兵器が開発された今、戦争を継続するならば日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明をも破滅しかねない。よって無条件降伏を受諾する。日本と共に「終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国」に対しては遺憾の意を表せざるを得ないと述べたわけです。しかしこの詔勅の要旨は、原爆投下だけを降伏決定要因とし、アジア太平洋各地で日本軍が犯した戦争犯罪やアジア各地で起きていた抗日闘争を徹底的に無視するどころか、戦争は「アジア解放」のためであったとの自己正当化のための「原爆被害利用」のなにものでもありませんでした。かくして終戦の詔勅は、「非人道的な原爆のゆえに降伏せざるをえなかった」という神話を国民に信じさせ、戦争犠牲者意識だけを煽ることによって、天皇自身をはじめとする戦争指導者の戦争責任はもちろん、日本国民がアジア太平洋のさまざまな人たちに対して負っている責任をも隠蔽する手段の一つに「原爆投下」を利用したのです。トルーマン大統領が、戦争終結を早め「多数の民間人の生命を救うため」に原爆を投下したと述べて、アメリカ政府が犯した重大な戦争犯罪の責任をごまかす神話を作り上げたと同様に、日本政府もまた原爆投下を政治的に利用して、自国の戦争責任を隠蔽しました。

 1945816日に天皇から新内閣の組閣を命じられた東久邇宮(ひがしくにのみや)は、戦時中の日本の最大の欠点は「科学技術」を軽視したことであると述べ、自国の敗北の原因を敵国の最新科学技術=原爆に求めました。新内閣の文部大臣に就任した前田多門も、就任直後の記者会見で「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された1個の原子爆弾によって証明される」(強調:引用者)のであり、「科学の振興こそ今後の国民に課せられた重要な課題である」と述べました。かくして、戦後の新内閣もまた、自国がアジア太平洋各地で15年にわたって犯したさまざまな戦争犯罪も米国の戦争犯罪も全く眼中になく、「科学技術」という狭い技術的要因にのみ敗戦の理由を求め、「原子力平和利用」を含む科学技術振興に向けての下地を作ることに熱意を燃やしました。

 1955年、広島・長崎の被爆者5名が日本政府に対して被害補償を求めて提訴した「原爆裁判」(いわゆる「下田裁判」)による被告=日本政府の答弁において、日本政府は次のように主張しました。

原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島長崎両市に対する原子爆弾投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い。のみならず、その後も核兵器使用禁止の国際協約はまだ成立するに至っていないから、戦時害敵手段としての原子爆弾使用の是非については、にわかに断定することはできないと考える。…… 国際法上交戦国は中世以来、時代に即した国際慣習及び条約によって一定の制約をうけつつも、戦争という特殊目的達成のため、害敵手段選択の自由を原則として認められてきた。

 かくして日本政府は、「下田裁判」では、その10年前の原爆投下に対する抗議文で展開した判断を180度転換して、基本的にはアメリカ側の原爆投下正当化論を受け入れる主張を行いました。それどころか、戦争に勝利するためには、いかなる方法を使うことも、ほとんどの場合、許されるという主張で、米国の原爆による無差別殺傷を全面的に肯定したのです。ちなみに、下田裁判の判決では、広島・長崎の原爆投下が当時の国際法に明確に違反する犯罪行為であることがはっきりと認められました。なお、私たち広島市民は2006年から2007年にかけて「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」を開廷し、原爆投下の犯罪性を審理しました。その裁判結果も原爆投下が当時の国際法に明らかに違反する戦争犯罪であったと明確に判断しています。ご参考までに、その判決文を同封させていただきます。(なお、裁判の詳細は http://www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/indexen.htm をご参照下さい。)

 長年にわたって日本政府が原爆被爆者救済政策に極めて後ろ向きであった理由の一つは、アメリカの戦後の核兵器による世界支配をそのまま受け入れ、アメリカの核抑止力に依存するという、日本の政策そのものにありました。しかも、放射能被害に関する医学的調査については、内部被曝を全く無視したアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が作り出した被曝許容量をそのまま受け入れ、放射能汚染の深刻さをはなはだしく軽視してきました。それが福島原発事故による放射能被曝と汚染の深刻さの軽視、ひいては原発事故に関して政府、政治家が負うべき国民に対する「政治責任」という認識の驚くべき欠落も産み出してきたのです。

 今また、安倍晋三首相や橋下徹大阪市長といった政治家たちが、日本の「侵略戦争」、「『慰安婦』問題」その他の戦争責任問題で、そのような歴史的事実があったことすら否定し、「朝鮮人被爆者」に対する差別的対応をとることで自国の戦争責任を否定しようとやっきになっています。さらに安倍首相は、昨年1226日には、東条英機など東京裁判でA級戦争犯罪人として判決を受け処刑された軍人を神として崇める靖国神社に参拝するという、憲法違反行為をあからさまに行いました。こうした日本の政治家たちの言動が中国や韓国の国民ならびに政治家の強い怒りを呼び起こす原因となっていることについては、あらためて言及する必要もないかと思います。このような無責任国家がなぜ産まれたのでしょうか。

 この原因は、前述した「原爆殺戮の被害」を「自己の戦争犯罪」の隠蔽のために利用したという「終戦の詔勅」に起源すると私たちは考えます。「原爆殺戮の被害」を政治的に利用しているため、その根本問題である「人道に対する罪」の責任追及をせず、あいまいな形のままにしておく。一方、隠蔽し続ける「自己の戦争犯罪」に対する責任は、当然問わない。したがって、加害と被害の両方の責任問題についてうやむやなままにし続けるのです。

 つまり、自分たちが他者=アジア人に対して犯したさまざまな残虐行為の犯罪性とそれに対する自己責任を明確にかつ徹底的に認識しないからこそ、他者=アメリカが自分たちに対して犯した同種の犯罪がもつ重要性も認識できない。他者=アメリカが自分たちに対して犯した残虐行為の犯罪性とその責任を徹底的に追及しないからこそ、自分たちが犯した犯罪の被害者=さまざまなアジア人の痛みとそれに対する責任の重大性にも想いが及ばない、という悪循環を多くの日本人が繰り返しています。その一方で、政府は、基本的には政府が責任を負うべきさまざまな政治社会問題で、国民の「自己責任」ということをますます強調することで「責任逃れ」を行っています。

 長くなりましたが、結論に入らせていただきます。ケネディ駐日大使は長崎訪問の折に、「オバマ大統領も核軍縮の目的に尽力しています」と述べられたとメディアが伝えております。核兵器を廃絶するためには、はじめに、人類史最初の核兵器使用であった広島・長崎への原爆投下が「人道に対する罪」であったことを明確に認識することが必要不可欠であると私たちは強く信じます。これまで70年ちかく核兵器が廃絶されるどころか拡散してきた重大な理由の一つは、原爆投下の「犯罪性」が明確にされるどころかうやむやにされてきたこと、特にその犯罪を犯したアメリカがその責任をうやむやにしてきたことにあると私たちは考えます。

ノーベル平和賞の受賞者である大統領が広島・長崎を訪問され、勇気を持って自国の「犯罪行為」を認められ、被害者に謝罪されることは、核廃絶の道を確固たるものにするための重要でかつ必要な一歩であると私たちは考えます。アメリカ大統領が、広島・長崎への原爆投下の「犯罪性」を明確に認め、被害者に正式に謝罪するということがいかに政治的に困難なことであるかは、私たちも重々承知しております。しかしそれだからこそ、「チェンジ(変革)」を唱えてなられた大統領が、在職中に勇気をもってこれを行われることは、核兵器をめぐる現在の世界状況を根本的に変えるための、歴史的に画期的な一歩となると私たちは確信いたします。

 それだけではなく、すでに詳しく説明しましたように、そのことによって、日本政府もまた、私たちがアジア太平洋戦争期に犯したアジア諸国の人々への様々な残虐行為を明確に「犯罪」と認め謝罪することを迫られるのです。ご承知のように、「慰安婦」問題や「強制連行」問題では日本はいまだに責任拒否を続けており、韓国や中国との関係で摩擦を起こし続け、東北アジアに不安定をもたらす大きな要因の一つとなっています。アメリカ政府による原爆投下責任の自認と謝罪が、日本政府にアジアに対する戦争責任をはっきりと取ることを迫り、ひいてはアジア全域の平和構築にも大きく寄与することになると私たちは信じます。

 なお、「責任」は、単に言葉や文章で被害者に「謝罪」したり「賠償金」を支払ったりすることだけで果たせるものではないと私たちは考えます。「責任」をとるとは、再び自分が同じような加害行為を繰り返さないようにすると同時に、他者も同じような犯罪行為をおかさないよう、その防止に永続的に努力することで、はじめて果たせるものだと思います。したがって、「責任をとる」とは一時的な行為ではなく、永続的な自己努力の行為です。そうした行為を通して、はじめて加害者は被害者から人間としての信頼を得ることができるようになり、ひいては人間的尊厳を獲得することができると私たちは確信します。日本の平和憲法は、私たち国民がアジア太平洋戦争期に犯した大きな過ちに対して永続的な責任をとっていく決意と覚悟を明確に表明したものであり、これを改悪することはその責任の放棄です。したがって、現在、安倍政権が着々とすすめている憲法改悪の計画は、戦争責任を放棄する意思を表明するものと私たちは考えています。

 最後までこの手紙にお目通しをいただきありがとうございました。オバマ大統領ならびにケネディ駐日大使御両名のますますのご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

 今年一年が、大統領御家族にとり祝福の多い年となりますようお祈り申し上げます。

2014128

下記諸団体代表者一同(順不同)
*「第九条の会ヒロシマ」      
734-0015 広島市南区宇品御幸1-9-26-413   

730-0036広島市中区袋町6-36 広島市まちづくり市民交流プラザ気付mb132

737-0028 呉市幸町3-1 呉YWCA気付

*「東北アジア情報センター」 
731-5128 広島市佐伯区五日市中央4-14-1-205 横原由紀夫方

736-0081 広島市安芸区船越2-35-4豊永恵三郎方

733-0022広島市西区天満町13-1-810

738-0027 広島県廿日市市平良山手7-16

広島YWCA                        
732-0053広島市東区若草町6-7 広島主城教会気付

 (注記:実際にオバマ大統領宛に送られる手紙は英語によるものであり、これはその日本語版です。)


代表者
連絡先:田中利幸(Email:tanaka-t@peace.hiroshima-cu.ac.jp